比嘉 清 トップページへ戻る  うちなあぐち賛歌   提供 南謡出版
200年前のうちなあぐち「散文」T
「大川敵討」1800年、久手堅親雲上作)(異本「忠孝j婦人」)より
(伊波普猷編、琉球戯曲集より引用)
関連ページ:「200年前の琉球語散文」
原文 現代うちなあぐち(訳:比嘉 清) 日本語(訳:比嘉 清)

泊の長い台詞
 むゝ、おの事ては、たう、細々の次第根から聞かそう。
 あの城やもと今帰仁の別れ大川の按司の城やたすが、百姓上りの按司部北谷のお前の打亡ばち、今や谷茶城んで云ふん。まづ事の起りや、大川の按司の国々の按司部討たんで、あらざらん事は色々に言立て、加勢頼で、軍押し寄せたん。
 だあ、大川城や女按司の御弔の日に当て、御取組の最中、もっての外、火急な事、分別の分別ならぬ。按司も大将もゑころ討死、多勢に無勢力及ばらぬ、終にや思子や生捕られ、大将村原のひやや逃げすまち、行衛知らぬ。世界の一人者、ゑい武士やすんついてや、生捕てあるいねけ子物種
(ぐわもんだね)にしち、取付て降参しめらむで、おの思(おめ)ん子養(つかな)てあん。
 おの段、村原が聞付けて、思ん子引取らむで、あややあんまへむで云ち、共につかなて給うれ給うれむで、谷茶城よしれたん。
 あゝむちや、満納の子なつくわいもの替いゝ人。村原が計
(はからひ)むで、ぬぢやでひぢで知っち、この際(きわ)取付(とつ)けゆんで、幸としち、問尋掛引段々(とひたんねかけひきだんだん)。村原とじのあやも相も劣らぬぬげた女。言ちやいしちやい、色々様々の返事返答(へじへんたう)。さてもさても妙なもの、聞きごとやたん。
 しゆたすが、村原妻や目口やはやはと小
(こう)しほらしかあげ、ほんのむちやむしやものやすんついてや、だあ按司やちやんとうちほれて、目いろは折りしち、さらざらと正気ねらん。終にや石川満納も追退けて、さったる仕方のをかしやい。
 やあやあ、我が側に
 居らば、
 女按司
(をなじやら)もされん。
 たうたう側に
 居れよ居れよ。
むで言ちやれば、村原のあやや按司もすかぬ薬もすかぬむで、つむぱにむぱしやん。谷茶や腹きれわち、
 この按司の言葉
 聞
(き)かならば、そなた、
 一刀に命
 つぶち取らさ。
むでしゆて、おどちやん。
 腹
(わた)の底まで見済まさつて居(を)すや、以ての外、村原のあややぢやあんないらぬ、殺す殺すむで、すいかきかかたさ。だあ、殺しゆるいぢや、そつともないらぬ、にが笑ひしち、戻ゆたる仕方や、ほんのをかしやど多(おほ)さる。あはは……。立羽失て、どっと散々なこと。
 あんしおれからや、大首倒れて、みすく聞きわけて、肝出ぢやち、死ぢ行きゆる命救てたぼうれたぼうれ、むで、段々折れ倒れしやつ時んや、村原とじや分別なむざの、夫の仏事うちなち、御返事上げらの何
(のを)のこいのむで、だんだんと言廻(いいまは)ちやりば、あゝ、無蔵さい、縁のかたかしち、あかさ暗さんわからぬ、ほんのまことに、たんしいしつち、
 待ちど嬉しごと
 喜びも大
(おへ)
 あた果報どつきやる
 果報なわ身や。
なつくわいしち、笑ひすいずい躍りはねしち、夜のねふしもねんだん、足
(ひしや)の指まで折りかへしがへししゆて、むな待ちしゆらむで思れば、ほんのをかしやどおほさる。あんし、満納の子や度々御意見おんいゆけらむで、何(のを)目も見せらぬ、かいはうかつたん。やつさ、人の命てらもの、言んでどしゆる、水つかゆすよか浅まつさ。恐ろしい畜生人。又満納の子も満納の子。
 あて性もないらぬ、何
(のを)むでおれほどしやが。いが身(どう)からどやいんすゆしが、とくと思て見では、主、かながなしい肝の厚しやつところから、誠に満納の子どやゆる。 

泊詞
 んゝ、うぬくとお、とう、細々
(くまぐま)ぬ次第(しでえ)(にい)から聞(ち)かさ。
 あぬ城
(ぐすく)やむとぅ今帰仁(なじちん)ぬ別り大川(ううかあ)ぬ按司(あじ)ぬ城やたしが、百姓上いぬ按司部(あじび)北谷(ちゃたん)ぬ、う前(めえ)ぬ打ち亡(ふる)ばち、今(なま)あ、谷茶城んでぃ云ん。まじ事ぬ起(うく)いや、大川ぬ按司ぬ国々ぬ按司部討たんでぃ、あらざらんくとぅや色々(いるいる)に言立てぃ、加勢頼(かしいたぬ)でぃ、軍(いくさ)(う)し寄(ゆ)したん。
 だあ、大川城や女按司ぬ御弔
(うとぅむれ)えぬ日に当たてぃ、御取(うとぅ)い組みぬ最中(せえちゅう)、むってぃぬ外(ふか)、火急(くゎちゅう)なくとぅ、分別(ふんびち)ぬ分別ならぬ。按司ん大将(てえしょう)んいいくる討死に(し)、多勢(たし)に無勢(ぶし)力及(ちからうゆ)ばらぬ、終(ちい)ねえ(=とおなたれえ)、思(うみ)ん子(ぐゎ)や生捕(いちどぅ)らり、大将村原(むらばる)ぬひゃあや、逃(ひん)ぎしまち、行衛知らぬ。(村原や)世界(しけ)ぬ一人者、ゑい武士やい、彼(あり)にちいてえ、生捕てえる幼(いに)き子、物種(ぐゎむんだに)にしち、取付(とぅっちき)てぃ降参しみらんでぃ、うぬ思ん子養(ちかなな)てぃあん。
 うぬ段、村原が聞
(ち)ち付(ち)きてぃ、思ん子引(ふぃ)ち取(とぅ)らむで、あやあや、あんめえ(や)んでぃ云ち、共(とぅむ)につかなて給(たぼ)うり給うりんでぃ、谷茶城ゆしりたん。
 あゝんちゃ、満納ぬ子なっくぇえ、むぬ替いゝ人。村原が計
(はか)れえんでぃぬくとぅ、ちゃんとぅ知っち、くぬ際(ちわ)取付きゆんでぃ、幸(せえゑえ)とぅしち、問(とぅ)い尋(たじ)ね掛き引(ふぃ)ち段々。村原とぅじぬあやあん相ん、劣(うとぅ)らん、ぬぎた女(ゐなく)。言ちゃいしちゃい、色々様々(いるいるさまざま)の返事返答(ふぃじふぃんとう)。さてぃむさてぃむ妙(みゅう)なむん、聞(ち)ちぐとぅとやたん。
 すたしが(=やたしが)、村原妻や目口
(みくち)やふぁやふぁとぅ小(くう)しゅうらさかあぎ、ふんぬんちゃ、むしゃむんやしん(に)ちいてえ、だあ、按司やちゃんとうちふりてぃ、目(みい)いるふぁ折(ゐ)いしち、さらざらとぅ正気(しょうち)ねらん。終(ちい)ねえ(=とおなたれえ)、石川満納ん追退(ゐいぬ)きてぃ、さったる(すたる)仕方ぬをぅかさよ。
 やあやあ、我が側
(すば)
 居
(をぅ)らば、
 女按司
(をぅなじゃら)(に)んさりん。
 とうとう側に
 居りゆ居りゆ。
んでぃ言ちゃりば(言ちゃれえ)、村原ぬあやあや、按司ん好かん薬
(くすい)ん好かんんでぃ、んぱんぱさん。谷茶や腹ちりわち、
 くぬ按司ぬ言葉
 聞
(ち)かんどぅんあれえ、そなた、
 一刀
(ちゅかたな)に命(いぬち)
 ちぶち取
(とぅ)らさ。
んでぃ言ち、威
(うどぅ)ちやん。
 腹ぬ底
(すく)までぃ見済(みいし)まさってぃ居しえ、以(むっ)てぃぬ外、村原ぬあやあや、ぢゃあんねえん、殺(くる)し殺しんでぃ、しいちかかたさ。だあ、殺する意地や、すっとぅんねえらん、にが笑(われ)えしち、戻ゆたる仕方や、実に、可笑(をぅか)さどぅ多さる(可笑さぬふしがらん)。あはは……。立羽(たちふぁ)失て、どぅっとぅ散々なくとぅ。
 あんしうりからや、大首
(うふくび)(とお)りてぃ、みしく聞ちわきてぃ、肝出ぢゃち、死ぢ行ちゅる命救てぅたぼりたぼうり、んでぃ、段々折り倒りしゃっ時(とぅち)んや、村原とぅじや分別なんざぬ、夫(をぅとぅ)ぬ仏事(ぶちじ)うちなち、御返事(ぐふぃんじ)上ぎらぬ何(ぬう)ぬくぃいぬんでぃ、だんだんとぅ言廻ちゃれえ、あゝ、無蔵(いぞう)さい、縁(ゐん)ぬかたかし(ち)、明さ暗さんわからぬ、実(じゅん)に、まくとぅに、たんししっち、
 待ちどぅ嬉しぐとぅ
 喜びん大
(うふ)
 あた果報どぅちちゃる
 果報なわ身や。
なっくぇえしち、笑えしいじい、躍いはにしち、夜ぬ寝伏しん寝
(に)んだん、足ぬ指までぃ折りけえしげえしそをてぃ、んな待ちがそをらんでぃ思いねえ、実に可笑さどぅ多さる(可笑さぬふしがらん)。あんし、満納ぬ子(しい)や、度々御意見うんぬきらんでぃ、何目ん見しらん、けえ、掃(ほ)うかったん。やさ、人(ちゅ)ぬ命(ぬち)てぃらむん、言んでぃどぅする、水浸(みじち)かゆしやか浅まさぬ。恐(うとぅ)るしい畜生人(ちくしょうんちゅ)。又満納ぬ子ん満納ぬ子。
 あてぃ性
(しょう)んねらん、何んでぃ、うりふどぅさが。いが身(どぅう)からどぅやいんすしが、とぅくとぅ思(うむ)てぃ見(ん)でぃは(見じいねえ)、主、かながなしい肝ぬ厚しやつとぅくるから、誠に、満納ぬ子どぅやる。 


泊詞
 むゝ、その事については、よし、事の次第を細々と初めから話そう。
 あの城は、もと今帰仁の別れ(支城)、大川の按司(豪族)の城であったのだが、百姓上りの按司諸侯(の一人である)、北谷の殿によって打ち亡ぼされ、今は谷茶城と云う。まづ、事の起りは、大川の按司が国々の按司諸侯を討とうと(しているなど)、あることないことを色々に言立て、支援を仰ぎ、攻め入った。
 あいにく、大川城や女按司の御弔の日に当たり、御取組の最中、もっての外、火急な事で、対応しようにもどうにもならない。按司も大将も、概ね討ち死にし、多勢に無勢であり、力尽き、終には、世継ぎ子は生き捕られ、大将村原の頭役は逃走し、行方が知れない。天下の第一人者で、有能な武士でもあり、生き捕ってある幼い世継ぎ子を餌にして、取り押さえて降参せしめようと、その世継ぎ子を養っていた。
 そんな折、(それを)村原が聞き付けて、世継ぎ子を引き取ろうと、(大将村原の)妻は、乳母だと名乗り、世継ぎ子と共に、養ってくださるように頼むつもりで、谷茶城を訪れた。
 それにしても、(谷茶の)家来、満納なんて者は、変り種だ。あくまでも、(それもこれも)村原の企みに違いないと察知し、幸いこの際、とっつめようと、いろいろと尋問したり掛け引をする。村原の妻もまた、これに劣らず、一枚も上手な女。あれ言ったり、これを言ったりで、色々様々の返事返答する。さてさて、その妙なさまは、実に聞きごたえがあった。
 そうではあっても、村原の妻は、目元口元柔らかに、小美しい容姿であり、本当に、成る程、頼もしいかぎりであったので、案の定、(谷茶の)按司は、すごく、ほれてしまい、目色遣いなどして、全くもって正気でない。終には、(家来の)石川、満納まで追い退け、もう可笑しいったらありやしない。
 さあさあ、私の側に
 居れば、
 女按司にもなれる。
 さあさあ、側に
 居れよ、居れよ。
と、言いったので、村原の妻は、按司(になるの)も好まない、薬も好まないと、突っぱねた。谷茶は腹を立てて、
 この按司の言葉
 聞かないなら、手前、
 一刀に命
 つぶしてくれる。
などと、威した。
 腹の底まで見済まされていては、以ての外、村原の妻は、気にする様子もなく、殺せ殺せと、つっかかった。あいにく、(谷茶には)殺す勇気は、ちっともない、にが笑いをして、(その場を)引き上げていったのは、あまりにも可笑しい。あはは…。(谷茶は)、立場を失い、非常に、散々な目にあった。
 そして、それからは、(谷茶は)うなだれて、(村原の妻の言うことを)よくよく聞きわけて、「心を開いて(憐れみをかけて)、(恋焦がれて)死に行く命を救けてくれよ、くれよ」と(懇願し)、次第に、気落ちしていく時などは、村原の妻は、策深くも、夫の法事を済ましてから、御返事を申し上げましょうとか何とかと、言いふくめたら、「あゝ、愛しい」、縁に遮られて、明るさ暗さもわからず、実に誠に、たんしいしつち
(註)
 待ってこそ嬉しきこと
 喜びも大きく
 無上の果報がやってきた
 幸せな吾よ。
などとぬかし、笑いながら、躍り跳ねたりして、夜の寝伏しもしない、足の指まで折り返し返し(村原の仏事までの日数を指折り)数え、空しく待ちわびているかと思うと、ほんとうに、可笑しくてたまらない。それにまた、家来の満納は、度々、御意見を申し上げようとして、(殿の谷茶に)遠慮しなかったばかりに、掃き捨てられ(殺され)てしまった。そうさ、人の命たるものは、言わば、水に浸かるより浅ましい。恐ろしい畜生人。だが、家来の満納も満納だよ。
 (満納の)無頓着もいいところ、何故に、そこまでしたのか(殿谷茶に意見したのか)。自ら招いたこととはいえ、よくよく考えて見れば、殿を思う気持の厚いところから出たもので、誠に家来満納だよ。 
注:@たんしいしつち=意味不詳 (わかゆる人ぬめんせえらあ、くまんかいメールしうたびみせえびり)
A段落、ルビや比嘉氏。
B参考書(伊波普猷、『琉球戯曲集』)んかいや、元本ぬ間違え箇所んかい印ぬあたい、脱字ぬ補字ぬあたいそをしが、くまをぅてえ、修正さっとをるまま、掲載すん。「大川敵討」や俗に「ムラバルー」んでぃ言ゃっとをん。
C現代うちなあぐち版うとをてえ、原本における旧かなづかい(歴史的かなづかい)、例れえ「もと」、「むで」ゆ「むとぅ」、「んでぃ」ねえし、新かなづかいなかい表記さん。
Dくぬ泊ぬ長セリフお、物語ぬ前半(約2/3)ぬあらしじゆわざわざ語とをるむぬやん(「通常」ぬ芝居やれえ、くぬ部分や、「あんしかんし(かくかくしかじか)やたん」ばし、一文なかい終わゆるとぅくるやしが、あんそをる手法とぅてえ居らんとぅくるんかい面白さるとぅくるぬあい、後世ぬいがろうにとぅてぃ、貴重な散文残ち呉ぃとをるむんやん)。
組踊脚本や通常や、韻文調んやいまた和古文んかい擬したる文体(文法やか文ぬ調を優先しみとをん)んかいなとをるむんやしが、くぬ部分や、いいくる散文調とぅなとをるばすやん。
E後半ぬ展開や以下ぬ通い。
 実え、泊や村原ぬ妻(乙樽)から、大川ぬ若按司(世継ぢ)とぅ共に谷茶城から脱ぎ走ゆるくぬみぬあぬくとぅゆ村原んかい告ぎりんでぃぬ言付き預かとをたん。村原やうぬ日(妻とぅ若按司ぬ脱走日)んかい合あち、大川ぬ旧家臣(子)ぬんちゃあ、密かに揃あち、若按司添うい出ぢゃちゃる乙樽ゆ追うゆるはじやる谷茶とぅうぬ軍ぬちゃあ、城外んじ待ち伏しばしさあい、討伐すぬ作戦立てぃゆん。あんし作戦や成功し、谷茶や殺さりやい、城奪回し、ハッピーエンドなかい終わゆん。

追記:民謡「兄弟小節」うてぃ名ぬ立っちゃるフレーズ、「いちゃりば兄弟、ぬ隔てぃぬあが」ん、くぬ「大川敵討」ぬ中ぬ泊詞んかいあん。泊が村原んかいいちゃたるばすぬ台詞やん。
あゝ、いきやへは、兄弟、何うち隔のあが」。