沖縄タイムス「唐獅子」掲載
比嘉 清 ホームへ戻る  うちなあうち賛歌  
時代の変遷とうちなあぐちの呼称(掲載2007.1.19 )
日本語版 うちなあぐち版


 三年前、私の元に立ち寄っていただいた筑波大学の津田氏は、私の投稿文中の「沖縄語」という呼称に、以前なら抑え込まれていた政治的なものを感じたという。確かに沖縄語という響きは独立した言語であるという主張を持ち、また、民族的匂いもする。だが方言呼称こそもっと政治的ではないのか。

日本語学では本土方言と琉球方言は、日本祖語から分かれたものとする。つまり両語は姉妹関係(中央語対地方語の関係ではない)だと一応の解決をしている。視点を変えて、沖縄の文化を総合的に検証してみると、うちなあぐちが見える。衣食住から芸能、生活習慣に至るまで沖縄文化は本土と異なる。祖先崇拝信仰は沖縄人の精神的土台を形成し、その束縛力は憲法より強い。うちなあぐちは沖縄の諸文化と共に独自化してきた。ことばだけを切り離して、方言扱いするのも不自然だろう。

しかし何が何でも、琉球語を日本語の方言としなければならい政治的ともいえる事情があった。琉球処分を敢行した明治政府は、言語が和語と似ていることを理由に、琉球人は日本人であり、琉球は日本の版図だと主張した。方言呼称は日清戦争後に主流となり、戦後においては、沖縄側の日本志向に乗じて勢いを得て、沖縄人の骨髄に刷り込まれたのである。

日本への帰属意識の形成は、歴史教育において顕著である。沖縄は日本と歴史を共有しない。古代から明治維新まで続いた国郡制上の六六ヵ国に琉球はない。豊臣秀吉らにとって、琉球侵略は明国や朝鮮侵略と同感覚のものであった。琉球はあくまで外国であり、侵略も対中国関係などに利用する目的を含み、「日本の一部」にする発想は幕末までなかった。沖縄において、日本史をいかにも自分たちの歴史であるかのように教えているのは実に奇怪だ。

常に大国志向せざるをえず、歴史の難局を変心することで切り抜けることが琉球の処世術だとしたら、心を取り戻すことも難しいことではない。移民と異なり、沖縄人は自らの生地に留まっているのであり、本来は文化が持続できる地理的好条件下にあるはずだ。

うちなあぐち散文会主宰 比嘉清


注:字数等の関係で「唐獅子」と文言が違うところが若干あります。

 三年前(さんにんめえ)、我方(わあはた)んかい巡(みぐ)てぃめんそうちゃる筑波大学ぬ津田主(しゅう)や、我投稿文ぬ中(なあか)ぬ「沖縄語」んでいゆる呼称(ゆびなあ)んかい、前(めえ)やれえ抑(うし)いちきらっとをたる政治的やるむん感じたんでぃぬくとぅ。んちゃ確かに沖縄語んでぃゆる響ちえ独立(どぅうた)っちいそをる言語どぅやるんでぃ、あびとをんねえんすい、また、民族(みんずく)かじゃあんすん。やしが方言呼称がるけえてえ、ゆくん政治的えあらんがや。

日本語学(にふんぐぐぁく)うとをてえ本土方言とぅ琉球方言や、日本祖語(すぐ)から分かれたるむんやんでぃぬくとぅ。言いどぅんしえ両語や姉妹(ちょおでえ)関係(中央語対地方語ぬ関係やあらな)やんでぃち、まじえ片付(かたぢ)きらっとをん。視(ん)じい方、変えてぃにいねえ、沖縄ぬ文化、いっそうから吟味(じんみ)し、んじいねえ、うちなあぐちぬ見(み)ゆん。衣食住から芸能、生活習慣までぃ沖縄文化あ本土とぅ違ゆん。祖先崇拝信仰やうちなあんちゅぬ精神的土台作(ちく)てぃ、あんしうぬ束縛力や憲法やかん強(つう)さん。うちなあぐちえ沖縄ぬ諸文化とぅ共(とぅむ)に独(どぅう)なあくるぬむんとぅなてぃちゃん。くとぅばびけん切(ち)り離ち、方言扱(あちけ)えすしん不自然(ふしじん)やあらに。

やしが、必(かんな)じまでぃん、琉球語ゆ日本語ぬ方言とぅさんでえならん、政治的やんでぃいちんゆたさぬ事情ぬあたん。琉球処分敢行さる明治政府(みいじしいふ)や、言語が和語とぅ似ちょをくとぅんでぃち、琉球人や日本人やい、琉球や日本ぬ版図やんでぃち、あびたん。方言呼称や日清戦争後お、主流とぅなやい、戦後(いくさあとぅ)んじえ、沖縄側ぬ日本志向んかい乗(ぬ)やい精(しい)ぬ付(ち)、うちなあんちゅぬ骨髄までぃん刷(し)り込(く)まったるしいじやん。

日本ぬんかい帰属そをんでぃゆる思いや、かわてぃ歴史教育んじ強う強うとぅ作らりいん。沖縄ぬ歴史え日本とぅぬ歴史とお別(びち)やん。かあま昔(んかし)から明治維新までぃ続(ちじ)ちちゃる国郡制上ぬ六六ヵ国んかい琉球やねえらん。豊臣秀吉たあにとぅてぃ、琉球侵略や明国んでえや朝鮮侵略とぅ同(い)ぬ感覚ぬやたん。琉球やまあまあでぃん外国(ぐゎいくく)どぅやい、琉球侵略ん中国とぅぬ関係んかい利用するたみんやたい、「日本のぬ一部」とぅすぬ考えや幕末(ばくしい)までえねえらんたん。沖縄んじ、日本史ゆ、いやでぃん自(どぅう)なあたあ歴史やるぐとぅ習あちょをしえ実(じゅん)に、ひるましむんやん。

ちゃあ大国志向さんでえならな、歴史ぬ難局を肝変(ちむが)わいすぬくとぅさあい片付きゆるくとぅが琉球ぬ生ちち道やたんでぃしいねえ、肝取(ちむとぅ)い戻(むどぅ)するくとぅんまた難(むちか)さるむのおあらん。移民とぅ違てぃ、うちなあんちゅお、自(どぅう)なあたあ生(ん)まりジィマんかい、うぬまま住でぃる居(を)くとぅ、実にやれえ文化が、ちゃあ続ちいし、いちゆうする地理的好条件ぬ下(しちゃ)んかいあぬはじやしがる。

うちなあぐち散文会主宰 比嘉清

注:字数んでえぬ関係なかい「唐獅子」とぅ文言ぬ違とをるとぅくるぬ、いふぇえ、あいびいん。