沖縄タイムス「唐獅子」掲載 提供 有限会社 南謡出版
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漫談にみるうちなあぐち  (掲載2007.5.22)
日本語版 うちなあぐち版

 沖縄の漫談「塩屋のパアパア」の小那覇舞天のバージョンには、うちなあぐちの輝きと魅力が凝縮されている。音声による鑑賞のため、最近の漫才に見られる「笑わすしぐさ」は見えないが、テンポ良く繰り出されることばだけで抱腹絶倒する。「笑い」の質の高さの証明である。パアパア(おばあ)をお笑いキャラクターにした走りでもあるが、舞天のパアパアは単なるボケ役ではない。

舞天バージョンは、パアパアが嫁のカマドゥウを誘って、ハーリー見学への道中や会場での出来事を漫談風に語る構成になっている。おそらくは、「お笑い」に必要な要素について、相当な工夫を凝らしている。だが聴衆には、何気ない日常のことばが飛び出していると思わせる。語呂遊びだけのことば、「フウー」という十秒近い長いカマドゥウの返事、それを空襲警報解除のサイレンに例えるパアパアのリアクション、舞天特製の語句(「鏡んでぃゆるいちむし」など)など、ことば数々に聴衆は圧倒される。さらには、パアパアが道中、前を行く娘らにつっかかり、「尾類結い」に似せ、櫛を通した髪の娘に、「うしるくぶから電車道通ちぇえる」と、粋なことばを投げたかと思うと、ぼさぼさ髪の娘には、「汝ちぶるよ、ちぶる」と、日常語を浴びせる。どの場面で「不意打ち」を食らうか分からないから聴衆は一瞬たりとも息が抜けない。

舞天の生来の感性に負うところも大きいのであろうが、あらためてうちなあぐちの奔放で豊かな表現力に感銘せざるをえない。

こうした漫談ものは、当然、散文としても成立する。「文学的」散文が乏しい以上、うちなあぐち散文の貴重な参考して貢献できるだろう(もっとも、組踊脚本に現われた口語の台詞も散文として参考になるが、歴史的仮名遣いや内容的古さなどがあり、散文を書く「発憤材料」としては、一般には刺激が弱い)。散文の存在は言語が飛躍的に発展する原動力となる。ルターが書いたドイツ語聖書がドイツ語の標準語になり、チョーサーが書いたカンタベリーテイルズが英語の散文の走りとなった。

漫談など「お笑い」自体、高度な技術を要する芸であるが、散文という側面から見ても、「うちなあぐち芸術」の一大ジャンルとしての地位を築きえるだろう。

注:字数等の関係で「唐獅子」と文言が違うところが若干あります。

 
 沖縄ぬ漫談「塩屋ぬパアパア」ぬ小那覇舞天バージョンんかいや、うちなあぐちぬ光(ふぃちゃい)とぅちびらあさが、うすまさ込(く)みらっとをん。耳鑑賞どぅやたくとぅ、近頃(ちかぐる)ぬ漫才がすぬ「人(ちゅ)笑あすぬたみぬ手(てぃい)よう足(ふぃさ)よう」や見いらんしが、さあらないさあらない出(ん)じてぃちゅうるくとぅばびけんなかい、腹ぬよおぎるか笑あさりいん。「笑え」ぬ質(しち)ぬ高さる証拠(すうく)やん。今(なま)ぬ「お笑い」キャラクター、「おばあ」ぬ先走(さちば)いんやいやすしが、舞天ぬパアパアやただぬビキ役おあらん。

舞天バージョンや、パアパアが嫁(ゆみ)ぬカマドゥウ誘(そう)てぃ、ハーリー見(ん)じいが行ちゅる道中んでえ会場んえでえじ、はっちゃかたるくとぅ、漫談風なかい語ゆる構成んかいなとをん。いいくる、笑あすぬたみに入り要やる要素にちいてぃ、でじな工夫(くふう)そをん。やしが聴衆んかいや、ただぬまる平生(ふぃいじい)ぬくとぅどぅあびとをるんでぃち思(うま)あするくぬみそをん。語呂遊(ぐるあし)びびけんぬくとぅば、「フウー」んでぃぬ十秒近くあぬカマドゥウぬ長返事(ふぃじ)、くり空襲警報解除ぬサイレンぬんかい例(たとぅ)ゆるパアパアぬリアクション、舞天特製ぬ語句(「鏡んでぃゆるいちむし」んでえ)んでえぬくとぅばぬ数々(かじかじ)なかい聴衆や、けえうさありいん。またなあふぃのお、パアパアが道中、前なとをるあん小(ぐゎあ)たあんかい、まちぶやい、「*尾類結(じゅりゆ)い」んかい似してぃ、さばちぇえる髪(からじ)ぬあん小んかいや、「うしるくぶから電車道通ちぇえる」んでぃち、面白(うむしる)くとぅば言ちゃがやあんでぃ思いねえ、かんとぅわらわらあそをるあん小んかいや、「やあちぶるよ、ちぶる」んでぃち、平生くとぅばし、ぬれえくるすん。まあんじが「不意打ち」さりいらあ、分からんくとぅ聴衆や、一時(いっとぅちゃ)ん休まらん。

うりん舞天ぬ生(ん)まりじちぬたき分ぬ大(ま)ぎさ故(ゆい)やらはじやしが、あらたみてぃ、うちなあぐちぬ自由豊かな表現力(てえ)んかい、肝(ちむ)うらあきしみらりいるむぬやん。

あんそをる漫談むんや、当たい前(めえ)ぬくとぅ、散文とぅしん、成い立ちゅん。「文学的」散文ぬいきらさるむんどぅんやれえ、うちなあぐち散文ぬあたら参考(例(りい))とぅしちん役立ちゅるはじ(あんやいやすしが、組踊脚本ぬんかい現わりたる口語ぬ台詞ん散文とぅしち参考んかいないしないしが、歴史的仮名遣えとぅか、また内容的にん古さんとぅか、散文書ちゅぬ「肝加勢(ちむがしい)」とぅしえ、てえげえや弱(よう)さん)。散文ぬ存ぬくとお、言語が飛躍的なかい発展(末栄え)すぬ原動力(てえ)とぅなゆん。ルターぬ書ちぇえるドイツ語聖書がドイツ語ぬ標準語とぅなやい、チョーサーぬ書ちぇえるカンタベリーテイルズが英語ぬ散文ぬ先走いとぅなたん。

漫談んでえぬ「お笑い」くるお、だてんな技、入り要とぅすぬ芸(ぬじゃ)やいやすしが、散文とぅしち考えてぃん、「うちなあぐち芸術」ぬ一大(うふ)ジャンルとぅしちぬ分ぬんかいないがすらんわからん。