書ちくとぅばゆ復興さあに実践さな−インデックス 日本語版へ トップページへ
はじみに
1.うちなあぐち観とぅうちなあぐち継承運動
2.言語が危機とぅなたる背景とぅ「沖縄学」
3.「方言どぅやみ言語ぅやみ」―けえふぎとおる歴史的見地
4.方言説とぅ言語説とぅぬ継承ぬ取い組み内容ぬ違えみ
5.戦後教育ぬ言語とぅ民族ぬ否定
6.戦後・復帰後ぬ「豊かさ」とぅ沖縄人ぬ物ぬ考え様ぬ変化
7.琉球民族名乗ゆる事ぬ意義−うかあさる単一民族主義んかい対抗
8.直ぐすばんかいあぬ書ちくとぅばとぅ表記法
9.組踊んでえぬうちなあぐちぬ伝統表記
10.話者人材や豊富―多面的活用さあに深みぬあぬ継承運動し行ちゃびら
11.うちなあぐち人材ぬ多様性ぬ意義
12.「うちなあぐち継承支援条例」ぬ必要性
13.話者世代やれえ誰やてぃんないる実践−まる平生使ゆる事
14.話者世代やれえ誰やてぃんないる実践―散文書ちゅる事
15.望まっとおる散文活動ぬ強化
16.うちなあぐちぬ居場所―日本語とぅぬ住みい分あきい
17.うちなあぐちとぅ標準語―マスター語
とぅずみに
注:漢音のルビについて
注釈一覧
書ちくとぅばゆ復興さあに実践さな
2010/4/28
くぬ拙論や、よういいふぃ小、うちなあぐち散文なかいすぬ言論活動そをる一人とぅし、うちなあぐちぬ継承運動ぬ事にちいてぃ、自考えうんぬきらなんでぃ思てぃ書ちぇえるむぬやん。
我ねえ、常からうちなあぐちえ、言語どぅやるんでぃちぬ考えやあに、言語がむてえい栄えいし行ちゅる為ねえ、書ちくとぅば(書記言語)が、いちゃっさ大切やがんでぃゆる事、あんしまた、沖縄人ぬうちなあぐちんかい対する思いとぅかぬ考え様が書ちくとぅばぬ有様また継承運動んかい、ちゃぬ風儀し、関係し行ちゅがんでぃぬゆる事にちいてぃ、うんぬきらなんでぃ思とおん。
うちなあぐち(琉球語)継承運動ぬ内容や、沖縄人ぬうちなあぐち観にゆてぃどぅ決わみらりいるむのおあらんがやあでぃち考えゆん。
今ぬ沖縄人ぬうちなあぐち観や、2006年んじ県議会うとおてぃ定みらったる「しまくとぅばの日」条例んかい表わりとおる通いやんでぃ思ありいん。条例や、「普及の促進を図るため」ねえ「しまくとぅばの日を設ける」(第一条)んでぃ言ちゃるぬうっぴどぅやる。事業内容にちいてぃん、「その日を中心としてしまくとぅばの普及促進のための事業を行う」(第三条)でぃぬ条文見じゅる限り、ただぬ催しむんそおなむぬんかいけえなてえ居らんがやあんでぃ思ありいん。「しまくとぅば」んでぃぬ呼称ん、何ぬ支えぬ無えらんねえし付きらっとおんねえそおん。「方言」ぬんあらな、「言語」んでぃぬ意味んあらん。地域ぬかあじ、物言いぬ違とおる事どぅやがやあ。条例ぬ事にちいてえ、沖縄ぬニとぅくるぬ新聞社ぬ取い扱えん大ぎくん無えらんあい、解説ん教育委員会ぬ反応ん無えらんたん。
ただ、第一条んじ、「本県文化の基層であり、(略)次世代へ継承していくことが重要である」んでぃち言ちょおる事お、歴史的ねえ意味ぬあん。県や、廃藩置県から後ぬ「標準語励行運動」にちいてぃ、一けぬんちょおん、釈明せえ来うんたん。
また、うちなあぐちゆ方言でぃちる考えゆみ、あらんでえ言語でぃちる考えゆみんでぃぬ事にゆてぃん、継承運動ぬ内容や、大ぎさ変わてぃ来ゅうい、却てえ、あらがあいがすらあん分からん。うちなあぐち観や、書ちくとぅばぬしい様んかい強う強うとぅ表わりゆん。音声言語ぬままやる方言や、実ねえ、書ちくとぅばあ要用無えらん。やしが、言語てぃらむのお、大概や、歴史的に様式化さっとおる書ちくとぅば持っちょおん[1]。書ちくとぅばぬる、うちなあぐち、生ち返らするむんやんでぃ思ありいん。うちなあぐち継承運動がしいびちいやしえ、世界んかい通用すぬ言論活動ぬ手段とぅさあい使ありいんねえし、書ちくとぅばゆ復興・確立すぬ如、目指しわるやいびいる。
沖縄人ぬうちなあぐち観や歴史んかいうぬ根ぐいぬあん。自なあたあぬ歴史、ちゃぬ風儀し、考えゆがんでぃゆる事がる民族意識作てぃ、あんしまた、うちなあぐち観とぅなてぃ表わりゆる。やしが、沖縄人お、琉球ぬ歴史ゆ教育方針とぅすぬ事んかい肝入りてえ居らん。我が沖縄人お、うちなあぐち観変える事ぬないがやあ。
今年2月、ユネスコや、琉球語や危機言語やんでぃち扱えゆる事にさん。うぬ事から二ちぬ事ぬ分かゆん。一ちえ、うちなあぐちえ、国際的ねえ言語とぅさあい考えらっとおんでぃゆる事やん。二ちえ、沖縄人がうちなあぐち使あらんなてぃ来ょおる事、国際機関ぬ認知さんでぃぬ事やん。
うちなあぐちえ、未だ、継じい易っさる環境んかいあん。むし、50代後半(地域にゆてえ40代)から上ぬ人んちゃあや話者やんでぃしいや、今ぬ沖縄ぬ人口比から、いきらく積むてぃん、話者ぬ数え、25万人超ゆる筈やん。また、「おもろさうし」、「組踊」、「琉歌」、「民謡」、「沖縄芝居」んでえんかい残さっとおる言語資料や十分あん。またなあふぃん、ましやる事お、まる平生ん、うちなあぐち使とおる地域とぅか人んちゃあが、今ちきてぃ居る事やん。散文さあにさっとおる言論活動(創作とぅか翻訳んでえ)迄あん。
やしえやしが、沖縄人お、伊波普猷ぬ琉球語ぬ消滅予言[2]し後からあ、「危機言語」んでぃゆる言葉んかい、けえ慣りやい、何ん思あんなとおん。伊波あ、大概ぬ沖縄人ぬ未だ、琉球語ぬ話者やたる1940年頃[3]、琉球語ぬ消滅予想さがなあん、うちなあぐち救済すぬ事にちいてえ何んさんたん。琉球語思がなさすぬ肝とぅ「消滅ぬ危機」んかい対するふぃずる肝、持ちょおたる風儀やん。あんそおる事が、うぬ後ぬ「沖縄学」ぬ源流とぅなたるしいじやん。沖縄人が「沖縄学ぬ父」から受ち継じゃしえ、「生ちちょおる琉球語」やあらな、「死語想定ぬ琉球語」どぅやたる。くんな故に、琉球語や、ただ解説すぬうっぴし済まさりいるむんとぅけえなやい、使ゆる言葉とぅせえ、扱えららんたん。戦後ぬ方言禁止運動ぬ万事、外間守善編ぬ『沖縄の言語史』んかいあぬ「琉球方言文献・資料目録」見じゅる限り、内外ぬ研究者にゆてぃ、1947〜1970年ぬ間なかい発刊また発表さっとおる琉球語解説書とぅか論文でえや、400超いゆしが、本格的なうちなあぐち散文なかいすぬ作品のお、とぅめえららん。「泊阿嘉」(我如古弥栄作、1911年)んでえ、音ぬ立っちょおる芝居脚本ぬんちょおん資料目録んかい無えらんどぅあくとぅ、うん如おるむんやリストアップさってえ居らんがあらん分からん。散文活動や「正統派」んでぃちえ、思あってえ無えらんどぅあがやあ。
方言禁止運動そおたる沖縄ぬ教育界にとぅてえ、伊波ぬ消滅予言や肝いし所とぅなやい、罪悪感消ゃあするむんとぅなとおたんでぃ言ちん済むん。
やくとぅ、伊波から始またる「沖縄学」ぬ関がなゆるうちなあぐちぬ継承運動や、言しとぅすしぬ、ああきとおん。「伊波学」にとぅてえ、「消滅予定」ぬうちなあぐちえ、なあ、解説びけんしいねえうっさし済むる言語どぅやい、実践(言論活動)しいびちいやる言語とぅしえ考えらってえ居らん。あんすくとぅ、「沖縄学」ぬ考え、持っちすぬ「継承運動」んでぃしえ成い立たん筈やん。
本土うとおてえ、方言とぅ中央語(標準語)とぅぬ違えみえ、大概や、ようい小てん小どぅやしが、日本標準語とぅうちなあぐちぬ違えみえ、通じらんあたい大ぎさん。やしが、うちなあぐちえ、いいくる「方言どぅやみ言語どぅやみ」んでぃち議論さっとおん。「方言呼称」や、明治期んじ当局ぬ使とおたる「標準語励行運動」んでぃぬ語句ぬ「標準語」ぬ対語とぅあさあい使あり始みらったるむんなやい、初めえ琉球語や「方言」でぃちえあらな、「言語[4]」んでぃちぬ呼称さっとおたる。伊波普猷が自ぬ編書『琉球戯曲集』んじ言ちゃる「国語は民族の呼吸である」んかいあぬ「国語」んでえ、「自国語」(同書)言いどぅんせえ琉球語ぬ事どぅやたしが、後々なたれえ、大概ぬ沖縄ぬ諸ぬ考えとぅ合あすんねえし、「日本の方言としても、日本方言と対立する大方言」(『南島方言考』)どぅやるんでいちゃあに、日本語ぬ方言やんでぃち考え直ちゃん。
「方言どぅやみ言語どぅやみ」んでぃぬ議論ぬいふうなあやる所んでぃ言いねえ、琉球ぬ歴史ぬ事お、別とぅし考えらっとおる事やん。良う見じいねえ、何時ぬ間がやらあぬ土着語(琉球語)にちいてぃ、まあまでぃん、言語学的感覚さあい考えらんでぃるさっとおる。方言や、話しくとぅばどぅやる。基本的ねえ文字化すぬ事んさってえ来らな、言語とぅしちぬ保ちん悪っさん。地理的位置んでえが壁とぅなやい、時とぅ共に他ぬ方言とぅぬ違えみぬ大ぎくなてぃ行ちゅる事にゆてぃ、通じらんないや、言語なゆんでぃぬ法則んあれえ、議論やさんてぃん済むぬ筈やしが、実ねえ政治的考えとぅか民族意識んでえぬまちぶいかあぶいし、議論やあちらん前んかい進まん。
やしが、歴史的事実や、ちゃぬゆうな反対意見ぬん許さん。琉球とぅ日本ぬ交流(貝貿易)や、弥生世んじんあたしが、やくとぅんでぃち、うぬ事お琉球や日本やたんでぃ言る事んかいやならん。古代ヤマト政権ぬ国土統一ぬ為、琉球んかい攻みてぃ来ゃんでぃぬ史料ん伝承ん無えらん。律令制んかい組み込まりいる事ん無えらな、中国とお冊封関係とぅなとおたん。明治5年んじ藩体制んかい組み込まりいるまでえ、琉球や、初みからうんにいまでぃ独立国どぅやたる。あんし、琉球語や一言語やんでぃち内外んじ考えらっとおたん。幕末から明治までぃなかい来琉また滞在そおたるクリッフォード、ベッテルハイム、フォーカード、チェンバレン(諸、英国人)たあや、琉球語や日本語とお別ぬ言語とぅしち研究さあに、著書ん書ち残ちゃん。「おもろさうし」ぬ編纂や、国ぬ事業とぅさあに、さってぃ、「組踊」世んじえ、書ちくとぅばまでぃ成やい、琉球語なかいすぬ言論活動ぬ行わりとおたん。琉球語が言語やたる事お、歴史的事実どぅやる。
琉球語や、如何ぬ風儀し、成てぃちゃるむんやがやあ。本土方言とぅ琉球方言が日本語祖語[5]から分かりてぃちゃんでぃ考えゆる国語学ぬ「定説」ぬあん。日本祖語や、弥生式文化持っちょおたる人んちゃあが持ち込だんでぃち考えらっとおしが、うぬ後、倭国大乱[6]んでえ、何がなぬ事変ぬひょうしなかい琉球弧んかいん入っち来ゃる筈。琉球語ぬ成てぃちゃる行成や大概や次ぬ如お、あらんがやあんでぃ思ありいん。
縄文世ぬ琉球弧んかい、先じえ日本祖語ぬ、うぬ後アマミ族[7](アマミキヨ)ぬくとぅばぬ、またうぬ後お、何がなぬ都合ぬあやい、琉球んかい逃んぎてぃちゃる人んちゃあ[8]にゆてぃ奈良平安世ぬ雅くとぅばぬ、薩摩ぬ侵略支配にゆてぃ南九州語ぬ、またなふぃのお、近代んじえ王府踊奉行玉城朝薫はじみ組踊作家たあにゆてぃ江戸語ぬ持ち込まりやい、今ねえぬ時空混合[9]ぬ琉球語ぬ成てぃちゃるむのおあらんがやあ。
本土んじえ、戦乱、物流、参勤交代制んでえにゆてぃ、なあめえめえぬ民族語ぬ混んちゃあなてぃ行じゃるむんやしが、琉球語や、上述ぬ如、幾けんぬ日本語ぬ大波被じいがちいん、本土語やかや、いふぃどぅ混んちょおい、うちなあぐちくるぬ母音使えんでえ文法守とおん。近頃ぬGm(ガンマグロブリン・マーカ)血液型遺伝子[10]ぬ研究からん沖縄人お、渡来弥生人とぅぬ混血や進まな、縄文人ぬ直系やいがすらん分からんでぃ言ゃっとおん。
オランダ語や、言語学ぬ分類上や、ドイツ語ぬ一方言やん。やしが、1600年まんぐる、聖書ぬオランダ語(ホラント地方ぬ方言が中心)訳作やい、書ちくとぅば持っちゅんねえなてぃからあ言語とぅなたんでぃぬ事やん。言語学的ねえ互え方言やる西欧語ぬ感覚からあ、琉球語や、うぬ歴史とぅ実態、考いねえ、「方言」とぅせえ、じょうい扱けえららんたる筈。
「方言」呼称や、沖縄人にとぅてぃ「うちなあぐちぬ代名詞」とぅけえなたん。比較論でえぬ理屈持っちょおる言語学的見地からあ、方言論や、説得力ぬ有るむんやしえやしが、歴史とぅか言語とぅ民族ぬ関係や、ちゃあ成とおがんでぃゆる事までえ、見ちぇえ居らん。うちなあぐちえ強いてぃまでぃ方言やんでぃち考えらんでえならん訳とぅし、沖縄人お、「日本人あらんでえならん」んでぃゆる政治的考えからがやら、「日本人やい欲しゃん」んでぃゆる望みからがやら、またあらんでえ、うぬ二ちぬ混んちゃあなとおる考えからがやら。
何やかん、方言説ぬばあや、本当ぬうちあぐちぬ分からんないるびけのおあらん。継承すぬ為ぬ取い組みぬ内容や「方言」とぅしちぬ内容んかい押し込みらんでぃさあに、しいびちいやる事ん、しいゆうさんようい居ん。うん如おる事が継承運動、停滞しみとおる訳とぅなてえ居らんがやあ。
方言やんでぃち考えてぃん、言語んでいち考えてぃん、「くとぅば」あ、同ぬむんどぅやくとぅ、継承しい道え何ん変わらのおあらにでぃち言る人ん居ん。
知らっとおる通い、うちなあぐちぬ継承問題や、「親から子んかい」んでぃゆる言語ぬ継承ぬしい道ぬけえ壊りとおる為なかいどぅ問題成とおるむんやる。「親から子んかい」んでぃゆる継承ぬしい道え、まる平生ぬ生活ぬ中うとおてぃ無意識にさりいるむんやしが、別ぬしい道やれえ、生活とお別ぬ所うとおてぃ、時間作やい、かわとおるしい道なかい、意図的に行わりいんねえ考えらんでえならん。言いどぅんせえ、うちなあぐちえ、丁度、外国語習ゆんねえし、教授すぬしい道作らんでえならん。いいくる、音楽教育すぬばあに楽譜ぬ要用やんねえし、言語教育うとおてぃん様式化さっとおる書ちくとぅばぬ要用やん。音楽ぬ楽譜とぅか言語ぬ書ちくとぅばあ、くとぅばぬ、けえ違たいすぬ事防じゅる役目ぬあん。うりかあがうちなあぐち書ちくとぅば再興しみらんでえならん理由とぅなとおるむぬやん。
書ちくとぅばあ、一ちぬ民族、また国んじえ「中央語」くうとぅ持っちぇえ居らな、地域語(下層ぬ方言)ぬ場合や、様式化んさってえ来うんたん。例れえ、大阪弁や様式化さっとおる書ちくとぅば持っちょおるわけえあらんくとぅ、大阪弁さあに書かっとおる文章ぬあてぃん、使え道ぬ限らっとおる「表音書き」どぅやる。
うちなあぐちゆ方言でぃち考えゆるむんやれえ、うぬ表記法や、ただ継承教育んでぃゆる目的ぬ為びけえんぬ「表音書ち」し、ちゅふぁあらやい、文学作品創作すぬ事までえ考えらってえ居らん。言語とぅさあい考えゆるむんどぅんやれえ、言語ぬ顔とぅしち、また衣とぅしち、世界んじ通用すぬふぃっぱい書ちくとぅばとぅさあに立てぃ行かんでえならんでぃ思ゆん。書ちくとぅばゆ衣ぬんかい例ゆるむんどぅんやれえ、方言説ぬ衣や、ただ着らりいる衣やれえ済むい、他所んかい行ちゅる晴着とぅさあに(世界んかい見しゆる創作活動とぅしち)着ち行かりいみんでぃ言る事までえ考えらってえ居らん。
うん如うし、うちなあぐちえ方言どぅやみ、言語どぅやみんでぃぬ考え様にゆてぃ、継承運動ぬ取い組みぬ内容や決わまゆん。うぬ大概ぬ違えみ、下表んかいまとぅみてぃ見ちゃん。
方言説とぅ言語説とぅぬ目標んでえぬ違えみ
|
方言説 |
言語説 |
文法 |
|
ちゃんとぅそおる文法論持っちゅん。 |
創作活動 |
詩歌、民謡んでえ。 |
詩歌、民謡、小説、論文んでえ。 |
文章表記法 |
話しくとぅばぬただぬ「表音書ち」。 |
ちゃんとぅそおる日本語式(伝統表記《組踊式》口語音んかい直ち)。 |
書ちくとぅば (書記言語) |
音韻表記びけえしえ様式化(固定化)あ、成いぐりさん。 |
音韻ぬ事ん考えがちい様式化すん。あるっさぬ分野ぬ表現ないる如すん。 |
実ねえ、上表ぬ通いや分きららん。取い組み内容とぅか目標や、活動家が如何ぬあたい、うちなあぐち、成いがんでぃゆる事にゆてぃん違てぃ来ゅうる筈やくとぅやん。公的措置にん違えみぬあら筈やん。言語やるばあや、公的に認知さりいるむんどぅんやれえ、保護とぅか復興措置さんでえならん対象とぅないぬ筈やしが、方言とぅしち考えらっとおるむんどぅんやれえ、本土ぬあまくまぬ方言とぅ同ぬ扱さんでえならんあい、公的措置や難さるむんとぅないる筈やん。
知識人とぅ一般人とぅん、うちなあぐちんかい対する考え様や違ゆん。方言説やらわん言語説やらわん、知識人ぬばあや、実践やか大概や解説ぬ事びけえどぅさんでぃすい、一般人ぬばあや、解説やか実践さんでぃすぬ肝持ちょおん。普及団体うとおてえ、積極的やらわん、消極的やらわん、うん如おる役割割賦ねえそおるむんぬあん。言語解説・研究すぬ人んちゃあとぅ実践すぬ人んちゃあとお、実ねえ、次元ぬ違ゆるむんどぅやしがる。歴史的ねえ、言語発展しみてぃ来ゃしえ、言論活動(実践)どぅやたる。近代なたれえ、知識とぅ実践が一ちゃあけえけえ成とおるむんやしが、うちなあぐちぬ如うし、今ちきてぃ使あらっとるばあや、ふんとうや、実践優先するがる自然やる。話者数ぬでえじないきらくなやい危機的状況やるばあや、当たい前ぬ事とぅし、言語学んでぃゆる「医者」んかい掛かてぃん済むん。
言語や、書ちくとぅば持っちどぅ当たい前やる[11]んでぃち、我ねえ考えとおるむんやしが、うちなあぐちぬばあや、方言説派やてぃん散文ぬんかい、すうみぬあがやあんでぃ思いねえ、言語説派やてぃん、散文ぬんかい、すうみ無えらん人ん居ん。方言とぅ言語ぬ論理的違えみぬ分かてえ居らんでぃ言しやか、自考えん、足しらっとおんでぃち考えらな。
戦後、米軍ぬ収容所から戻てぃ来ゃる沖縄人お、けえ壊さったる家田畑見ち、肝ん肝ならんたる筈やん。学校びけんや、童んちゃあにとぅてぃ、肝うらあき所んやい、肝加勢ないる所やたる筈やん。やしが、生徒ちゃあや、目外んだあけえなたん。「学校んじえ方言のお使てえならん」んでいち叫びらったんるむんやん。「何が何んでいち」んでぃち、思とおたる童んちゃあんかい、先生たあや「方言や、やなくとぅば」どぅやい、「不良[12]ぬ使ゆるくとぅば」やくとぅんでぃち、習あちゃん。言語ぬ否定や、民族ぬ否定とぅないるぬむんやん。地域にゆてえ、学外んじん、童んちゃあぬくとぅば使え、監視すぬ婦人会までぃあたん。
戦後んじぬ民族語排斥運動が当たい前ぬ事ねえし進みらってぃ来ゃしえ、沖縄治みとおたるアメリカ軍が沖縄、日本から切い離さんでぃすぬ政策ぬあたる事ん言ちょおかんでえならさに。うんにいぬ沖縄ぬ教育界や、うん如おるアメリカぬ政策が沖縄永続支配しみゆる事んかいならんがやあんでぃ、うじいとおたるむぬやん。うんな事が戦後ぬ「方言禁止」運動ぬ訳ぬ一ちとぅなとおたん。うりかあが皇民化政策とぅさあに、行わりとおたる戦前ぬ民族語排斥策ぬ訳[13]とお、あい変わとおるしいじやたん。皇民化んでぃゆる考えしえ、しいなしゆうさんたる民族語撲滅や、復帰運動んでぃゆる反米運動とぅ民族ぬ死活問題[14]、絡みゆる事にゆてぃ、大ぎく「前進」さんでぃち考えらりいん。
米軍統治んかい対する抵抗運動とぅしちぬ日本復帰運動組織すぬ政治力持っちょおたる沖縄人お、復帰後や、ちゅうちゃん結束力失たん。県民ぬ価値観ぬ多様化さんでぃぬ論調んあしが、琉球人ぬ物ぬ考え様や、昔から多様[15]やたん。復帰運動ぬ中らぐるまでえ復帰んかい反対[16]すぬ人んちゃあ居たん。却てえ、日本復帰んでぃゆる価値観し、纏まとおたる人んちゃあが、けえ分っきやあに、前ぬ多様性んかい戻たるばすどぅやる。
復帰運動うみはまてぃぬ後ぬうじゅみ、いがろうや、民族語ぬ継じい道失たん。失たるむぬお、うりびけえやあらん。戦終わてぃ直きぬ一時あ、沖縄ぬ農民や、自なあくる復興しい始みたん。焼ち禿ぎ原、元ぬちゅら田畑んかい造てぃ行じゃん。原、あむとぅ、畑道んでえぬ草あ、だてん刈い取らってぃ、山羊んでえ馬んでえぬ餌とぅなたん。残飯や豚んかい呉らってぃ、糞尿んでえや、畑ぬ肥料とぅなたん。ゴミ収集車ん来うな、エコ社会んやたん。
田畑ゆ基地とぅさあに米軍なかい奪らったる農民たあん、また自なあくるし復興うみはまとおたる農民たあまでぃん、現金収入ちむてぃ基地建設んでえぬ軍作業んかい行ちゅんねえなたん。貨幣ぬB円(軍票)からドルんかい替えらったる1958年後からあ、アメリカ資本ぬん入っちちゃあに、米国から値安い物資ぬ入っちちゃん。自給自足そおたる沖縄人ぬ米国産ぬ穀物んでえ、買うてぃすぬ立てぃじゅくすんねえ、けえなたん。沖縄社会や、一時ぬ間なかい、ちゅうちゃん、けえ変わやい、王朝世からむとぅうちょおたる自立経済や失わりたん。戦前ぬ貧相とぅ比びいねえ「豊か」んかい成たしが、沖縄や、今ちきてぃ、最貧県どぅやい、失業率や8%まんぐるなてぃ全国一高さん。「豊か」んかいなたるい沖縄人お、自なあたあ価値観迄、けえ変えてえ居らんがやあ。
うちなあぐちぬ継承にちいてえ、強いてぃまでぃさんでえならん課題とおなてえ無えらんでぃん思まありいん。やしが、うり「豊かさ」故んでぃち考えゆしえ、実ねえあらん。沖縄人お、学校んでえんじ、「うちなあぐちえ悪なむんやん」でぃち習あさったる考え、今ちきてぃ持っちょおん。特てぃ、「うちなあぐちえ、書ちゅくとぅばとぅせえ成らん」んでぃゆる考えや、一般人から知識人までぃ「当たい前ぬ事」とぅし、考えらっとおん。うんな考え、うっちゃん投ぎらすんねえし習あすしん継承運動ぬ一ちんでぃち考えびちいやあらに。前に言ちゃる通い、書ちくとぅばあ、言語ぬ顔やい衣装やん。むしか現在ぬ継承運動ぬんちょおん、うちなあぐち、すがらする事ぬならんどぅんあれえ、沖縄人ぬ多くお、継承活動から、ゆくん離りてぃ行ちいがすらあん分からん。うちなあぐち叫びゆうする世代ぬうちなあぐち思がなさすぬ肝ぬ今ちきてぃ有しえ、うちなあぐちが如何ぬ様な姿し、居らわん、構あんでぃぬ肉親愛ねえそおるむんやくとぅるやる。
何やらわん、継承運動んかい関なてえ居らな、また物ん言らん多くぬ人んちゃあが現在ぬ取い組み内容、消極的にん認みてぃが居らあ、あねえあらんがあらあ知らんでえならん。
アンケートししいねえ分かゆる事おやしが、回答者ぬうちなあぐちにちいてぃ、如何ぬゆうなイメージさあに、また、イメージしみらっとおがんでぃゆる事にゆてぃ、調査結果や、大ぎく変わてぃ来ゅうん。うぬ為、実施さあや、自なあくるぬ、ちなあぐちに対すぬ考えとぅか書ちくとぅばぬ有様んでえにちいてぃ、ちゃんとぅ語ゆる事さんでえ、調査結果あ、なんぞお意味え無えらんでぃち考えびちいやあらに。
7.琉球民族名乗ゆる事ぬ意義−うかあさる単一民族主義んかい対抗
うちなあぐちゆ言語んでぃち主張すぬむんどぅんやれえ、沖縄人お、一ちぬ民族やんでぃゆる事、主張すしとぅ同ぬむんやん。「しまくとぅば県条例」ぬ事にちいてぃ地元紙ぬ「声ぬ欄」ぬんかい、しまくとぅば思がなさしい強さる事お「悪な民族主義的」どぅやい、戦する事んかい、けえならんがあらんでぃ心配そおる投書ぬあたん。
自ぬ民族誇ゆる事ぬないぬ民族お、他民族ん敬まゆる文化持ちゆうすん。日本や、政府要人ぬ失言[17]んかいある如、単一民族志向やん。やしがうりえ、他民族敬まゆる文化持たん差別社会どぅやい、うりがまたうかあさる事お、有事なたるばすんでえじえ、国民統制ぬしい易っさる事やん。
元から、日本ぬん、かあま大昔え、弥生式文化とぅ共に朝鮮系ぬ言語持ち込でぃちゃる人んちゃあ(帰化人組織)ゆ祖先とぅそおるヤマト政権ぬ統一国家ちゅくゆる迄え、北方系ぬ蝦夷とぅか南方系ぬオーストロネシア語族んでえぬ混んちょおる多民族列島やたんでぃぬ説[18]ぬあん。
沖縄人ぬ琉球民族やんでぃち名乗ゆる事お、却てえ、単一民族論ぬ持っちょおる危険性抑制すん。沖縄戦ぬんじ、ちゃっさきいぬ犠牲者出じゃちゃる沖縄人お、民族名乗てぃ当たい前やあらに。民族同士ぬあらげえ事が起きゆみ起きらにんでぃゆる事お、うぬ民族ぬ単調な価値観どぅ持っちょおみ、多様(対処能力ぬ豊かさ)持っちょおみんでぃゆる事なかいどぅ決わまゆる。民族意識くるが戦争起する訳えあらん。
ただ、一人なあ一人なあぬ民族決わみゆしえ学説んあらな行政組織んあらん。決定権やなあめえめえんかいどぅある。本人ぬ思いとお別に、誰ん民族押しい付きる事おならん。民族が自己申告さあに決わみらりいるむんどぅんやれえ、客観的基準や無えらんてぃん済むみんでぃぬ疑問ぬ出じてぃ来ゅうる筈。戦ぬ終わてぃ直え、衣食住はじみ宗教、芸能までぃ、沖縄人お本土とお別どぅやたる。『青い目がみた「大琉球」』(ニライ社)んかいあぬ照屋善彦氏ぬ文引用しんだな。
「琉球を訪れた欧米人は、(略)島の人々の特色ある文化に興味を覚え、(略)この王国の風土と文化がその隣国の中国・朝鮮・日本本土、さらに東南アジアとは異なる独特のものであることを知り、数多くの記録を残したのである」
やしが、琉球民族名乗ゆる事お、日本人やる事否定すぬむぬおあらん。「日本人」でぃぬ呼称や、元お、国家人(国籍人)ぬ呼称どぅやしが、単一民族志向んあてぃ民族とぅばぺえらっとおん。むしか、日本ぬかあま大昔、多民族ぬ自なあくるぬ言語んでえ文化んでえ、ちゃあ持っちいそおたるむんどぅんやれえ、例れえ、「蝦夷系日本人」ねえし呼称さりいる人んちゃあ今ちきてぃ居たる筈。
琉球ぬ歴史消ち来ゃる三大事変にちいてぃん書ちょおかな。1609年んじ薩摩ぬ攻みてぃちゃる際ねえ、王府ぬ財宝、公文書ぬ奪うらってぃ、古琉球ぬ姿ぬ分からんなたん[19]。また、1879年ぬ廃藩置県ぬ際にん多くぬ公文書ぬ東京んかい持っち去らったしが、多くお関東大震災んじ、けえ燃えたんでぃぬ事やん。またなふぃのお、1945年ぬ沖縄戦ぬ際んじん多くぬ史料ぬ燃えてぃ無えらんなたん。
文化人類学者ぬ川田順造氏や、「ことばをあまり必要としない身近な者同士の間では、ことばは廃れる。ことばは、よそ行きとして発達する[20]」でえぬ事言ちょおん。書ちくとぅばあ、不特定多数ぬ人んちゃあんかい伝えらんでえならんむんやくとぅ、究極ぬ「よそ行きことば(すがいくとぅば)」やんでぃ言ちん済むん。すがいくとぅばあ、話しくとぅば視覚化せえるむんやくとぅ、視覚ぬ都合んかい合あち、論理的(文法的)んあらんでえならんあい、また、見ばん考えらってぃ様式化さっとおる言語やん。
沖縄んじえ、うちなあぐちなかいすぬ散文うりから書ちくとぅばゆ再興し発展しみゆる事にちいてぃ、大概ぬ人んちゃあ、うん如おる事までえさんてぃん済むんでぃ考えとおん。今、うちなあぐちぬ「書ちくとぅば」ぬ如し流行とおしえ、ただぬ「話しくとぅばぬ表音書ち」どぅやる。先言ちゃる通い、大概ぬ沖縄人ぬうちなあぐち観ぬ表わりどぅやら筈んでぃ思ゆん。
司馬遼太郎や、徳川宗資(国語学者)とぅぬ対談ぬんじ、「天才が現れないと、土語から散文化することは無理です」(『日本語の本質/司馬遼太郎対話選集2』)んでいち言ちょおん。書ちくとぅばにちいてえ、「話しくとぅばぬただぬ表音書ち」やかん、なあふぃん工夫ぬさりいびちいやんでぃち考え欲しゃん。後々ぬ人んちゃあや、天才たあが作てぃちゃる書ちくとぅば似えびすぬうっぴし済むん。日本語や、うん長えが歴史通ち、いちゃっさききいぬ天才作者たあが関わてぃ、今ぬ様式んかいしいなさってぃ来ゃん。琉球語ん組踊作家たあが日本ぬ歌舞伎んでえ浄瑠璃んでえぬ作家たあ似えびさあに組踊台本書ちゃあに、散文ぬ体裁までぃしいなち来ゃん。
日本ぬ琉球国併合さる後、抑圧さんでえならんむんとぅなたる琉球語や、いふうな扱えさりいる事んかいなたん。うりまでえ無えらんたる言語ねえし扱けえらってぃ、「日本語ぬ方言ぬ如おん」んでぃち考えらったん。表記法ん組踊世からぬ伝統表記や、無えらんたる如しリセットさったん。
『沖縄對話』(明治13年、県学務課)ぬ表記法や、日本語版ぬんじえ、長音にちいてえ母音重にてぃすぬ伝統表記なとおるむんやしが、琉球語版や外来語とぅ同ぬむん、長音や棒引ち記号なかいすぬ簡易な表音表記とぅなとおん。うぬ故がやら、民謡とぅか芝居脚本んでえうとおてぃん、漢字混んきてえるひらがなんかい棒引ち記号(長音)ん混んきゆる表記法ぬ主流けえなてぃ現在ん続ちょおん。長音ぬんかい棒線記号使ゆる表記法ぬ悪っさる所お、元々、二ちぬ意味からなとおる語ゆ一音節んかい結合[21]けえしみゆる事にゆてぃ、語ぬ構成ぬ分からんないる事やん。棒引ち記号使あらん日本語式表記法やれえ、音声上や音節結合ぬあてぃん文字上や音節ぬ結合やしみらんくとぅ、語ぬ構成説明しい易っさん。日本語んじ棒引ち記号使てぃん済むしえ、語ぬ構成ぬ事までぃ考えらんてぃん良たさる外来語(カタカナ表記)とぅか臨時伸ばし音[22]んでえぬばあびけんどぅやる。語分解すし考えてえ無えらん本土各地ぬ方言うとおてぃん棒引ち記号や使あらっとおん。自なあたあびけんし送たい見ちゃいすぬ個人メールんでえにちいてえ、当い前ぬ事、まあまあでぃん自由やん。公式ぬ表記法が晴着やれえ、個人メールねえぬ表記え普段着ねえぬむんやん。
うちなあぐちゆ言語とぅさあに考えゆるむんどぅんやれえ、うぬ書ちくとぅばにちいてえ、晴着とぅさんでえならん。おもろさうしぬ編纂者とぅか組踊作家たあにゆてぃ琉球語んかい取い入りらったる日本語式表記法や、琉球語ぬ伝統表記とぅないる筈やたん。今やれえ、日本語が明治世んじ言文一致んかい直ちゃんねえし、うちなあぐちにちいてぃん、後じいんじ言んねえ、日本語ぬ原文一致とぅ似してぃ直さんでえならんむんやる事お当い前ぬ事やん。
うちなあぐちゆ散文化すぬ為なかい要用やしえ天才やあらな、肝強さびけんし済むん。天才ぬ仕事え、けえ終わとおい、いがろうや、天才たあ残ちぇえるむん、直さあ直さあし、継承また似えびするびけんしいねえ済むん。やくとぅ、うちなあぐち表記法や、誰ぬ手やてぃん、いちゃゆる所んかいあん。
琉球語んでぃちゃあに呼称さっとおたる世ぬ書ちくとぅばゆ次ぬ如、直しいねえ、口語うちなあぐちぬ書ちくとぅばぬ表記法とぅなゆん。
@文語的表記(日本語音式)ゆ口語表記(琉球語音式)んかい直すん。例、文語「ほこらしやどあすが」→口語「ふくらしゃどぅあしが」。五母音(a,i,u,e,o)ぬうち、u、eゆIんかい、oゆuんかい変えゆる事にゆてぃゆてぃ、口語んかいなゆん。つ(chu)→ち(chi)、き(ki)→ち(chi)、ぎ(gi)→じ(ji)んでえあい、また拗音ぬばあとぅか、細さる事いねえ、なあふぃんあしが、くまうとおてえ略すん。ただ、「我や[23]」んでえぬ係助詞「や」ぬ文語使えや許さりいん。
A旧仮名使えゆ新仮名使えんかい直すん。例、「けふ」や「ちゅう」んかい、「たうたう」や「とうとう」んかい。やしが、「くゎ(くぁ)」、「ぐぁ(ぐゎ)」んでえぬ旧仮名使えや、発音ぬ残とおくとぅ残すん。
日本語うとおてぃぬ言文一致んでえ、「口語し文書ちゅる事」どぅやしが、うちなあぐちしえ、五母音式表記(日本語音式)ゆ口語音式(琉球語音)し表記すぬ事どぅやる。ただ、現代うちなあぐちしえ、初みから、口語音し表記しいねえ済むる事やくとぅ、うぬ表記法や、ただ現代日本語ぬ表記法んかい似しれえ済むる事どぅやる。
琉歌んでえぬ韻文や、散文ぬ手本とお成いゆうさん。琉歌、いちゃっさ、ましさあに、作たいさわん、うちなあぐち散文化すぬ事んかいや、役んかい立っちぇえ無えらん。同ぬ如、組踊脚本ぬん韻文やんでぃち思あらってぃ来ゃる事んあてぃ、散文表記ぬ参考んかいやならんでぃち考えらってぃちゃん。確かに組踊台本や、多くお韻文どぅやしが、実え散文調ぬセリフんあん。
伊波普猷や、組踊ぬ韻文形式ぬ変調すぬばあにちいてぃ、「切なる情を表したり、驚いたりして発する詞は、破調にしてある。(略)感情が高まって来ると、忽ち変じて、七五調又は五七調になるのである」(『琉球戯曲集』)んでぃ言ちゃあに、韻ぬ崩りらわん韻文形式やる事お変わらんでぃち考えとおん。やしがまた、散文調ぬセリフにちいてえ、「冗漫な文句」んでぃちくじゆん。「『手水の縁』や無名氏の『忠孝婦人』等見るに(略)、多くは、技芸の点は全く顧みずして、徒らに冗漫な文句を長々と連ねたものばかりで」んでぃ言ちょおん(『琉球戯曲集』)。引用文ぬんかいあぬ「手水の縁」(平敷屋朝敏)や、「花売りの縁」(高宮城親雲上)とぅばっぺえとおん。冗漫な句(散文)ぬ多さる例とぅしち、伊波ぬ言ちゃる「手水の縁」ぬんかいや、散文句や無えらな、「花売りの縁」かいどぅある。伊波ぬただぬ勘違えやんでぃ思ありいん。うぬ「冗漫な句」んでぃしえ、「花売りの縁」うとおてえ、薪採ぬ長セリフ、また「忠孝婦人(異本、大川敵討)」(久手堅親雲上)うとおてえ、泊ぬ長セリフやる事お間違え無えらん。じるん口語[24]やん。伊波や、組踊にちいてぃ自ぬ美学とぅ合たらん所おましえ、あらんぎさん。やしが、散文ぬんかい関心持っちょおる後世ぬいがろうにとぅてぃ、あんそおる「冗漫な文句」ぬる、散文ぬ参考とぅないる宝物やん。
旧仮名使えぬ事お置ち、実音とぅ、あいゆかん違とおる五母音し表記すぬ表記法から、実え、組踊時代頃までえ現代ぬうちなあぐちとお違てえ居らんたがやあんでぃち勘違えすぬ人ん居ん。200年ぐれえぬあたいしえ言語や、大ぎく変わゆるむのおあらん。うわあばな物言いやいやすしが、明治15年生まりぬ祖父とぅ我とぅぬ言ちゃいはんちゃいや成とおたん。祖父んまた彼ぬ祖父とぅ言ちゃいはんちゃいそおたる筈。言語や連続そおるむんどぅやる。
旧薩摩うとおてぃん、百姓や三母音どぅやたしが、士族や、江戸語とぅ似しらんでぃち五母音し話すたんでぃぬ事やん(司馬良太郎対話選集2『日本語の本質』)。五母音表記や、薩摩ぬ侵略すぬ前んじ編纂さっとおる「おもろさうし」世からぬ伝統やる事から、薩摩士族ぬ影響やあらのおあしが、何がなぬ共通項ぬあいがすらん分からん。
我が主張そおる伝統的表記法とぅうぬ他ぬ表記にちいてぃ下表うとおてぃ比較しんちゃん。
主な表記法ぬ対比表
|
伝統表記(日本語式) |
表音表的簡易表記(長音や棒線使用等) |
文法説明 |
容易(語句ぬ分きい易っさる表記)。 |
容易やあらん(語とぅ語ぬ結合音ゆ棒線記号し表記したいすぬたみ)。 |
発音対応 |
日本語とぅ同ぬ如成ゆん |
成ゆん |
成立 |
多くぬ作者たあがしいなちゃん。 |
話しくとぅば「表音的簡易書ち」。 |
伝統的か |
伝統的し踏襲。 |
伝統的やあらん。 |
例文 |
あんまあ、たむのお、きぶとおんどお。 |
あんまー、たむのー、きぶとーんどー。 あんまぁ、たむのぉ、きぶとぉんどぉ。 |
注:長音ぬんかい小文字使いや、拗音+長音ぬばあや小文字ぬ連続すん。例、「ちゃぁぐゎぁ(茶小)」。
10.話者人材や豊富―多面的活用さあに深みぬあぬ継承運動し行ちゃびら
「使いねえ虎とぅなてぃ、使らんあれえ鼠どぅないる」んでぃぬ故事ぬあん。普通ぬ人やてぃん登用しいや虎ぬ如おる実力出じゃする事ぬ成いしが、登用さんあいや、ちゃっさぬ優り者やてぃんただぬ鼠んかいどぅ成いるんでぃぬ意味やん。
話者世代ぬ多くお、継承ぬ取い組みにちいてえ、冷ずるうねえ見ゆしが、いざとぅないねえ、うちなあぐちぬ知識んまんどおい、ちゃんとぅそおる意見ぬん持っちょおんる「隠り武士[25]」的存在やん。うったあ知識とぅか意見、如何ぬ風儀し、継承運動んかい、取い入りて行けえ済むがやあ。
話者でぃ言ちん、うちなあぐち日常語とぅそおるグループとぅまどぅまどぅどぅなあどぅ使ゆるグループんかい分きらりいん。後じいぬ人んちゃあやまた、大概、多く使ゆるグループとぅまるけえてぃなあどぅ使ゆるグループんかい分かりいん。日常語とぅそおんでぃちん、身内とぅか同ぬシマ人とぅ話すぬばあぬる多さくとぅ、実ねえちゃあが成とおらあ分かい苦さん。我身内(うるま市与那城)え、いいくる、うちなあぐちぬる日常語やしが他所人とぅぬ話すぬばあや、日本語なかいどぅする。また、糸満市字宇江城ぬ人んちゃん、我が知ちょおる限り、うちなあぐちぬる日常語やる。やしが、他所人とぅ話すぬばあや、日本語なかいどぅする。うん如うし、我くるぬ近さんかい居る話者ぬ数から考えいねえ、沖縄んかい居る日常語派や、ちゃぬあたい居がやあ。まる平生や日本語日常語とぅさあに、うちなあぐちえ、あんましむんちゃんでぃち思とおる大概ぬ団塊世代や話し相手ぬ同ぬシマまた同ぬちるみいやるばあや、ちゅうちゃん、うちなあぐち叫びゆるばすぬあん。
沖縄んかいや、「耳ぬ肥えとおん」んでぃゆる慣用句ぬあん。歌とぅ踊ぬ栄えとおる沖縄んじえ、兄者世代や、長えさ、歌三味線聴ち慣りとおい、プロん評価しいゆうすん。プロぬ人んちゃあん、うん如おる兄者世代ぬ「肥えとおる耳」畏りとおん。うちなあぐちぬ事にちいてえ、話者世代や、耳ん目ん肥えとおん。彼ったあぬ耳え音声語聴ち、目や書記語見うん。話者やんでぃゆる事ぬ他なかい、継承運動んかいん自なあくるぬ意見持っちょおん。やしが、うんな世代ぬ多くお継承運動ぬ蚊帳ぬ外んかいどぅ置かっとおる。地元紙んじえ、うちなあぐち関連記事え、ただんちょおん、いきらさどぅあしが、うちなあぐちんかい関がなとおんでぃちマスコミんかい出じゆる人んちゃあや、よういいきら人数ぬ特別な人んちゃあびけんどぅやる。あんさあに、うちなあぐち使ゆる人お彼ったあびけんがやらんでぃち、思あっとおん。うん如おる事お、実に群盲んかい象ぬ一部撫でぃらちょおしとお同ぬむんやん。マイナーな言語んでぃしえ、うん如おる行成なかいどぅ単調化すぬむんやがやあ。アイヌ語ん元々お、色んな方言から成とおたんでぃぬ事やしが、今あ、一面的なむぬんかいけえ成とおんでぃぬ事やん。
色んなタイプぬ話者活用すぬ事にゆてぃ、うちなあぐちん多面的なてぃ、深みぬあぬむんやる事ぬ分かゆる筈やん。
グスントウジン主食とぅすぬ南米ぬ原住民たあや、今主食とそおる品種ぬ後々、病気んでえなかいなやあに滅びいがすらん分からんくとぅんでぃち、ちゃっさきいぬ種類ぬグスントウジン品種、ちゃあ保いそおんでぃぬ事やん。うん如おる事お、民族ぬむてえ栄えいし行ちゅる為ぬ立ちじゅくぬじんぶんやい保証やん。太平洋戦争んじ負きたる日本人ぬ直ぐに肝取い直ち、気張ゆる事ぬ成たしえ、国民ぬ軍国主義くうとぅぬ価値観[26]ぬん、ちゃあ持っちいそおたくとぅどぅやる。むしか、日本人が軍国主義んでぃぬ価値観びけんどぅ持っちょおたるむんやれえ、反米英思想ぬ代々受ち継がってぃ、今ちきてぃ、対米英ゲリラ戦、しが居たらあん分からん。国土やさぼうりがなさぼうりてぃ、経済大国んかいないゆうさんたる筈やん。
中国とぅぬ冊封関係、薩摩ぬ侵略、明治政府にゆてぃさったる併合、沖縄戦、敗戦後ぬ米軍統治んでぃち、歴史なかいむたばってぃ来ゃがなあん、琉球民族や人口ふぃならする事んさんようい、現代までぃ、生ち延びてぃ来ゃる事ぬ成たしえ、色んな事変ぬんかい当たてぃん、解んする事ないんねえし、色んな価値観持っちょおたくとおあらんがやあ。一ちぬ価値観びけえしえ、生ちち道ん一ちしか無えらんくとぅ、滅びやっさがあらん分からんむぬやん。自然ぬん芸術ん、あるっさぬ人工物んいるいる有くとぅる、感受性ん豊かなやあに、安定感ぬん有る。
沖縄んじえ、くとぅばあ集落ぬかあじ違ゆん。うちなあぐちんかい関がなとおる人んちゃあや、集落ぬ数んかい、大概、比例そおんでぃち考えてぃん済むん。近頃お、沖縄ぬあまくまうとおてぃ「しまくとぅば大会[27]」んでえが催さりいんねえなてぃちゃん。公民館んでえじ地元ぬくとぅば講義そおる所んあん。復帰後、地域語編纂せえる書物[28]ん多さ発刊さってぃ、地域んかい伝わとおる民話ぬ編纂[29]ぬんさっとおん。人材やただ、シマぬかあじんかい、うぬシマくとぅば成いる人んちゃあが居るびけんやあらん。芝居、琉歌、民謡、散文、語源研究、地名研究んでぃゆるジャンルんかいん広がてぃ多角的んかいなてぃ来ちょおん。
特別ぬ人んちゃあびけんやあらな、色んな人材活用すぬ事お、また、人材育成とぅん成ゆん。人材ぬ多くなてぃ行ちゅしえ、品数ぬまんどおるデパートんかい買い物さあぬ集まてぃ来ゅうる如、継承運動んかい揃てぃ来ゅうる人んちゃあぬ増ち、質的にんむてえ栄えすぬ契機とぅんないる筈やん。
2009年6月、我ねえ浦添市在住ぬ上地氏から一通ぬ葉書しどぅう果報なたん。
「実は私、二十数年前に聖書を宮古口になおそうと思い、創世記三章まで進みましたがあまりの難しさに中断してしまいました。(略)昔を思い出して又始めようかと思ったりしていますが、もう八十を超えましたので、どうしようかとなやんでいます」(原文ぬまま)。
また、那覇市ぬ赤嶺氏(当時80代)からん、「若い頃、泊高橋のことばを編纂しようと取り組んだこともあった」んでぃぬ電話しどぅう果報なたる事ぬあん。沖縄市ぬ伊礼氏(当時50代前半)や、定年しいねえ生まりジマやる与那城ぬくとぅば編纂すぬ計画持っちょおたしが、志半らんじ倒りたん。豊見城市ぬC氏(60代前半)や、フランス語小説うちなあぐちんかい通事そおたしが、発行までえしいなしいゆうさんたん。思ゆらば、いちゃっさきいぬ人んちゃあが、故郷ぬくとぅば思がなささがなあん、思い切っち行じゃる事やがやあ。
会話実践すぬサークルんでえん、あまくまんかいあしが、公的支援ぬん無らんどぅあくとぅ、むとぅうち行ちゅる事おならん。ないぬ事やれえ出版までえ、しわるないるんでぃち考えらっとおる散文活動にちいてぃん同ぬむんやん。うん如うし、うちなあぐちんかい関なとおる人んちゃあや、地方語ぬ編纂ぬんかい関なゆる人から、散文活動までぃそおる人までぃ、思いぬ外多さしが、彼ったあ活動資金ぬんかい比例さあに、社会的ねえ、なんぞお目立ったん。近頃おインターネットぬ普及にゆてぃ、誰やてぃんホームページんでえブログんでえ開設さあに、自なあくるぬ活動ぬないんねえしなてぃ来ょおい、うちなあぐち話者世代んかいん、いいくる広がい始まとおん。市井ぬ人んちゃあぬうちなあぐち活動にちいてえ、マスコミえ、なあふぃん、取い上ぎいびちいやあらにんでぃぬ声んあしが、却てえ、マスコミ頼がきてえ居らんくとぅる、ホームページとぅかブログんでえぬ活用すぬ事ぬ多くなてぃ行ちゅる。
うちなあぐちぬ継承、うみはまとおる市井ぬ人んちゃあぬ花ぬ咲ちゆうさん訳とぅしえ、うちなあぐちぬ市民権が「しまくとぅばの日」条例んかい書かっとるうっぴやくとぅるやる。うちなあぐち継承すんでぃちうみはまとおる個人とぅか団体や、肝揃いさあいに、県また県議会んかい、うちなあぐちぬ継承、助きゆる条例制定すぬ如、あぎまあさんでえならん。当い前ぬ事やしが、公的支援や、意見とぅか活動方法んでえぬ違えみとお関係無えらん如、公当にさりいびちいやん。
うちなあぐちぬ継承んかい関がなとおる団体また個人や、例い、意見の違えみぬあらわん、肝揃いしいねえ、県また県議会ぬ考え、変えゆる事お、難さる事おあらん。
うちなあぐちぬ継承ぬ取い組みにちいてえ、特別な人んちゃあがすぬむんやんでぃち思とおる人んちゃあぬまんどおん。確かに、辞書ぬ編纂とぅか本ぬ出版んでえや、でえじなぬ難儀業やくとぅ、暮らし立てぃやがなあや難さるむぬやん。サークル主宰さい、講義活動さいすしん、しこういむこういすぬ時間んでえ考えいねえ、くりんまた難儀業どぅやくぅ、成いる人お限らっとおん。
良う、「実践やかまさゆる継承や無えん」でぃぬ黄金言葉ぬあん。言語ぬ実践んでえ、うぬくとぅば「使ゆる」事どぅやい、あるっさぬ諸言論活動ぬ事どぅ言る。うちなあぐち日常語とぅそおる人んちゃあやてぃん、子孫んでえとぅ話すぬばすお、日本語んかいけえないるむんどぅんやれえ、うちなあぐち継承ぬ事お、何ん考えてえ居らんねえ思ありいん。やしが、子孫たあや、親同士ぬ使とおるうちなあぐち実え良う聞ちょおん。あんしまた、わざとぅやらわん、覚らじにやらわん、子んちゃあ孫んちゃあんかい、まるけえてぃなあ、うちなあぐち使とおるばすん多さん。うぬ事お、うちなあぐちぬ耳学問ぬんかいなとおん。実に、「話しゆうさんしが聞ちゅる事おなゆん」んでぃぬ世代ぬ居る事お、御万人ぬ知ちょおる通いやん。「聞ちゅぬ事ぬなゆん」んでぃ言る事とぅ、「聞ちゅる事んならん」んでぃ言る事とお、あいゆかんぬ違えみぬあん。「聞ちゅる事ぬないる」人んちゃあや、話、しい慣いりるうっぴさあに、話者ぬグループとぅしん、通ゆん。聞かすぬうっぴぬ消極的な実践やてぃん、ちむええぬあん。くぬ世代ぬうちなあぐちあびゆうさんしえ、小さいにいから親んちゃあから「使てえならん」でぃやあに、言ゃっとおくとぅるやる。
まる平生や、うちなあぐち使らん人んちゃあやてぃん、継承活動やうみはまゆる事ぬなゆん。如何ぬ様な活動やがんでいいねえ、うちなあぐちし「文章書ちゅる」事やん。話する事ん大切えやしが、書ちゅる事んまた大切やん。念入りてぃ言語ぬ勉強すぬ事ぬなゆん。会話びけんせえ、言葉あ空気中んかい飛でぃ去ち、何ん残らのおあしが、文章やれえ、紙上んでえパソコンんでえんかいデータとぅさあに残すぬ事ぬなゆん。散文ぬんかいけえ慣りいねえ、うちなあぐち力ぬでえじな強てぃ来ゅうる筈やん。
やしが、沖縄社会んじえ、うちなあぐち散文や、今ちきてぃ、市民権や無えらん。地元紙うとおてぃん、使え様や限定的どぅやる。多くぬ沖縄人お、うちなあぐちし文章書ちゅる事お成らんでぃち言ちょおしが、大概や表記法ぬ事なかいどぅ思い病みいそおる。
歴史ぬ断絶んでぃせえ、あんすかまでぃん後世んかい、ひまだありな業しみゆるむんやがやあ。
漢字知らんで中国語文のお書ちゆうさんとぅか、スペルぬ分からんでえ英語文や書ちゆうさんとぅかぬ話やれえ分かゆん。やしが、うちなあぐちえ、日本語とぅ同ぬむん[30]、基本的ねえ、音節単位し成とおる文字[31](かな)使とおる為なかい、五十音し表しゆうする音やれえ聞ち書ちすぬ事んなゆん。
また、音声とぅ書記とぅなんぞお離りてえ居らんうちなあぐちとぅか日本語んじえ、表記ぬ小てんなあや違てぃん書記とぅしち成とおん。例れえ、「行く」や「ゆく」、また「論じる」や「論ずる」やてぃん済むん。いちゃっさきいぬ方言とぅ新旧ぬくとぅば使えぬ混んちょおるうちなあぐちにとぅてぃ、小てんぬ表記ぬ違えみゆ許すぬかな表記え有利やん。「しみそおれ」を「しんそおれ」、また、「降やびいん」ゆ「降いびいん」、「成ゆん」ゆ「成いん」でぃち表記しん「綴り」ぬばっぺえっとおんでぃち、叫びららんてぃん済むん。
表音文字やるローマ字ゆ使ゆる西欧語ぬんちょおん、スペルお漢字とぅ同ぬ如、「形」とぅけえ成とおん。むし、音韻・音声学ぬ立場から英文んでえ中国語文ゆ伝統的スペルとぅか漢字なかいやあらな、発音記号し書きんでぃち提唱さりねえ、とお、ちゃぬあたいぬ人んちゃあが取い受きゆがやあ。書ちくとぅばんでぃしえ、なあ視覚ぬ都合なかい成とおる言語どぅやる。視覚ぬ都合んでぃしえ美学ぬ事までぃ考えらんでえならん。言語や文化どぅやい、様式美どぅやる。継承んでえ模倣どぅやい、また、ましやるむん選らぶる事んやん。ちゅらさるむんぬ残やい、あねえあらんむのお淘汰さりいん。書ちくとぅばあ、目し見うる言語どぅやくとぅ、美的やる事お、うわあばな事あらん。
我ねえ、ただぬ人どぅやるんでぃち強う強うとぅ思とおたくとぅ、表記法や、伝統表記、直ちぇえるむんとぅか、また日本語式とぅ似しゆる事、基本とぅすんでぃち、初みから決わみとおたん。やくとぅ、表記法ぬ事し、うわあばな難儀業ん、ふぃまだありな事さんてぃん良たさたん。「送い仮名」、「長音や母音、連にゆん」、「句読点」、「括弧使え」んでえや日本語式とぅさあに、自なあくるぬルールとぅしち、@無理な当てぃ字やさん、A「清らさん(美らさん)」んでえねえし、日本語とぅ異音同意語ぬ当てぃ字にちいてえ、なあふぃんましやる新説ぬ出じてぃ来ゅうるまでぃぬはんしとぅすん、B語形保存表記[32]すん等。やしが、「独自ルール」や、いいくるばっぺえゆる事んあしが思い病いやさん。
また、書ちくとぅばぬ実践にちいてえ、ばっぺえとおれえ迷惑やい、恥じかさんでぃち考えゆる人ん居ん。くんな考えからあ何事ん成らん。初みからしい成さっとおるむのお無えらんあい、今ちきてぃ、しいなさっとおるむのお無えらん。進歩すぬ為なかい要用やしえ、肝ぐまさやあらな、胆強さどぅやる。うりやかぬコメントぬ要用やみ。
さてぃ、あたらうちなあぐち作文ぬん発表すぬ手段ぬ無えらんあれえ、継承とぅしちぬちむええや、大ぎさあ無えらんしが、やくとぅんでぃち、どぅく考え過じらんてぃん済むん。ちゃあしいしいねえ、作文すしえ楽しみんかい変わゆん。インターネット使えゆうすぬ人お、ブログ立ち上ぎたいさあに、うりぬならん人お、文集、募おるホームページんでえんかい投稿すぬ道んあん。インターネットならん人お、自ぬ考えとぅ合たゆる文集サークルんでえんかい投稿すぬ道んあん。如何な、いふぃ小ぬ実践やてぃん、ちゃあ続きいし行ちいねえ、継承運動ぬむてえ栄えし行ちゅる為ぬ役んかい立ちゅる筈やん。
うちなあぐち継承ぬ取い組みとぅさあに、「しまくとぅば発表すぬ大会」んでえや、いいくる、はねえちょおしが、散文活動、奨励すぬ取い組みえ、なんぞお無えらん。
歴史とぅん返てぃ見じいねえ、書ちくとぅばぬ有ぬ事が言語ゆ不朽・普遍ぬむぬんかい成ち来ゃる事ぬ分かゆん。文字読み明かすぬ事にゆてぃ、後世ぬ人んちゃあや、古ぬ人んちゃあからメッセージ受き取ゆる事ぬなゆん。八重山ぬ、なあ島々村々んかいや、代々、数十種ぬ古謡暗誦すぬ音取役ぬ居たるばすやしが、近代、彼ったあや立ちかんてぃいさあに、覚いびいちい古謡覚びいゆさな、喜舎場永cぬ集録しい始みたる昭和初期ねえ、ゆかいうっさぬ古謡ぬ失わりとおたんでぃぬ事やん(『八重山古謡上・下』喜舎場永c著)。口承や限りぬあん。音韻ぬん不朽・不変やあらん。口承びけん、ちゃあ続きいし行ちいねえ、中らんじえ語彙ぬ分からんないる事んあんでぃぬ事やん。語彙や死語化すぬばあんあい、音韻ぬん安定やしえ居らんくとぅどぅやる筈。
言語ぬ普遍的な目的え、何(意味)伝えゆがんでぃゆる事どぅやる、文字ん音声ん手段どぅやる。やくとぅ、かあま大昔ん人お、意味持っちょおる文字(象形文字)発明さん。表音文字し書かっとるスペルん時代とぅ共に音韻とぅスペルや違てぃちゃあに、スペルくるが「形表わすん」ねえなたん。今ちきてぃ、スペルぬ音ぬ通いんかい直さらんしえ、音声やか書ちくとぅばとぅしちぬ安定性ぬ望まっとおくとぅどぅやる。音韻や変わてぃ行ちゅるむんどぅやい、言語とぅ言語ぬ違えみ表わすぬばすとぅか、ちゃんとぅそおる発音さんでえ相手んかい通じらんばすとぅかやれえ、ちゃんとぅそおる音韻主義ぬるましやる筈やしが、歴史んでぃゆる時間から考えいねえ、強いてまでぃ固執さんでえならんむぬおあらん。
英語うとおてえ、ジェフリー・チョーサーぬ「カンタベリー物語」が散文ぬ始まいやんでぃちさってぃ、日本語や太安万侶ぬ「古事記」、紫式部ぬ「源氏物語」んでえんじ古語ぬ作らり始みやい、明治ぬ文豪たあが現代日本語ぬ基礎作てぃ、あんし、今ぬ形んかいなたしえ戦後やんでぃぬ事やん。琉球語散文ぬ始まいやる組踊台本ぬ書かったしえ18世紀ぐるどぅやしが、日本語とぅか英語んでえぬメジャーな言語外んちいねえ、諸外国語ぬ書ちくとぅばぬしい成たる時とぅ比なびてぃん、なんぞお、遅りとおる分けえあらん。言語、確立しみゆる事ん、また継承すぬ事ん、書ちくとぅばぬ役割ぬ、いちゃっさ大切やがんでぃゆる事お歴史ぬ証明そおん。
今ぬうちなあぐち継承運動ぬ中うとおてぃん、一番ぬ大切な散文活動や、うりすぬ人お、でえじないきらさん。うちなあぐち散文活動ぬ再興や、なあ奨励活動頼がきらんでえならんなてぃが居ら。
うちなあぐちしすぬ懸賞小説んでえ、定期的なかい募る為ぬ基金んでえ設立さあに、うちなあぐち散文活動奨励すしえ、ましあらんにんでぃ思ゆん。
うちなあぐちしすぬ散文活動や、何んでぃち、すうみん持ったらな、不毛状態とぅなとおらあ。
うぬ大ぎ訳とぅしち、うちなあぐちえ、@幾けぬん言しが、書ちくとぅばんかいなわとおる言語やんでぃちえ思あってえ居らんあい。Aあんし、書ちくとぅばすぬ表記が、いいくる表音的表記法とぅけえなとおる事、Bあんしまた、日本語やか、表現力ぬ劣ゆんでぃち思あっとおるくとぅやん。
@うりからAにちいてえ、前項までぃなかい論述せえる通いやん。うん如おる事んかいなたしえ、方言説派ぬ影響んあら筈やん。また、沖縄人ぬ肝ぬ奥んかいあぬうちなあぐちに対すぬマイナスイメージゆ今までぃ、ちゃあ持っちいそおる事ん、うぬ原因やら筈。
うちなあぐちえ、考えらっとおる通い、日本語やか表現力ぬ劣ゆるむぬがやあ。日本語ぬ豊かなてぃ見ゆしえ、ちゃっさっきいなあぬ漢語使とおくとぅるやる。日本語から漢語取い外んしいねえ、ちゅうちゃん、使え苦さる言語とぅなゆん。琉球語ん日本とぅか他ぬ漢字文化圏とぅ同ぬむん、江戸時代から漢語借てぃ来ゃる経緯ぬあしが、また、漢語頼がきらんてぃん済むぬ語句使えん発達しみてえん。例れえ、動詞から成てぃちゃる名詞んでえぬあん。動詞「かやすん」や、名詞「かやあさあ」んでえとぅか、「かやあすし」んでえ作てえん。うりから、肝心とぅか情表わすぬ「肝語」や、『沖縄辞典』(国立国語研究所)んかい66語ん載とおい、「肝ん肝ならん」んでえぬ慣用句ん、さんみんぬしい様にゆてぃ数え変わゆしが、大概40句びけんあん。日本語んじ衰いとおる「係い結び[33]」ん今ちきてぃあん。「しこういむこうい」、「ゆんたくひんたく」んでえぬ「重に語」んあん。日本語並に漢語使ゆるむんどぅんやれえ、うちなあぐちぬ表現力や、日本語以上ややてぃん劣ゆるわけえ無えらん。
やしが、漢語や日本語音なかいやあなら、琉球語音(琉球漢音)[34]し読まんでえ、日本語とぅぬ混合語ぬ如、けえなゆん。話者世代からあ、日本語読みいすぬ漢語混んちゃあぬうちなあぐちにちいてえ、「日本語ねえそおん」んでぃ思あらっとおん。
うちなあぐちぬ散文ぬ実践ぬんさんようい、うちなあぐちえ、散文化ならんでぃぬ思いとおる人んちゃあや、自なあくるし、うちなあぐちし文章書ち見うしえましやん。実践すぬ事んかい、うけえいふぃいけいそおる人お、他ぬ人ぬ実践書、見ちぬうしえましんでぃ思ゆん。あんしまた、継承者てぃらむんや、自くるし、うちなあぐちし文章書ちゃあに、見しいびちいやん。
うちなあぐち日常語とぅそおる人んちゃあん合あち、書記言語にちいてえ、いっそうから日本語どぅなとおる。生活レベル(商用文、卒業論文、入社試験、行事案内んでえ)うとおてえ、なあ、うちなあぐち書記語ぬふぇえりんちゅぬまどお、むさっとぅ無えらん。やしが、文化・芸能んでえじえ、うちなあぐち書記語使てぃん、生活ぬ妨ぎとぅないる事お無えらん。いるわきてぃ、随筆とぅか小説んでえぬ散文活動やれえ、書ちゅる人ぬ自由どぅやる。近頃お、普通ぬあんまあたあやてぃん、「携帯小説」書ちゅる世なとおん。前述ちゃる通い、ホームページとぅかブログんでやれえ誰がん散文活動なゆん。うちなあぐち書ちくとぅばぬ広がてぃ行ちいどぅんせえ、後々お、なんくるまる平生ぬ生活んじん、使ありいんねえなゆる事んあら筈やん。
いがろうや、日本語し文章書ちゅるばす、日本語ぬ継承ぬ事考えとおる訳えあらん。うぬ事お諸外国語んじん同ぬむんやん。うちなあぐち散文ぬ実践ぬん「継承運動」んでぃゆる考えから解放さってぃ、「遊び」とぅなたるばすどぅ、実にぬ継承活動とぅないる。
国民統制すぬ必要から国え公用語んでえ標準語ぬ要用やん。あんせえ、国家持たん民族語ぬばあや、標準語や要用無えらんむんやがやあ。文学とぅか論文んでえや、強いてぃまでぃ標準語やあらんてぃん済むん。やしが、民族語ちゃんとぅ継承すぬ為ぬ言語教育さんでえならんむんどぅんやれえ、文法うりに書ちくとぅばあ、いいくる標準化さんでえ、やま切りゆん。なあふぃん不都合な事ぬあん。公立学校んかいやシマぬかあじ方言ぬ違ゆくとぅ、一ちぬクラスんじ複数ぬ方言習あさんでえならんなゆん。
うちなあぐちんかい「標準語」ぬ要用やみ、あらにんでぃ言る事にちいてぃ、議論すぬ事お、うちなあぐちにちいてぃ、なあふぃん深く考えゆる事んかいないるむぬやくとぅ、うわあば事おあらん。
諸外国うとおてぃぬ標準語ぬ決わみ道え様々やん。ドイツ語ぬ標準語や、ルターぬドイツ語訳聖書ぬ基礎んかいなたんでぃぬ事やい、フランス語や、パリぬ一地方ぬ方言がモデルとぅなたんでぃぬ事やん。イタリアやローマ帝国ぬ本拠地やくとぅ、うぬ標準語や、ラテン語モデルとぅしん良たさる筈やしが、トスカーナ地方ぬフィレンツェぬ方言がモデルとぅなたんでぃぬ事やん。中国んじえ16世紀ぐるまでえ、南京官話(南京ぬ方言)が公用語やたしが、清ぬ北京ゆ首都とぅさる後お、支配民族ぬ満州語やあらな、北京官話ゆ公用語とぅさん。韓国んじえ、国立国学院にゆてぃ標準語ぬ決わみらっとおん。日本語ぬ標準語や、江戸時代後期までえ実ねえ、京都弁やたんでぃぬ説ぬあん。明治後お、国家的営為とぅしち、東京弁モデルとぅせえる標準語ぬ作らったん。戦後お国ぬすぬ標準語政策お行わりてえ居らんしが、実質的ねえ標準語ぬしいなさっとおん。
むしか、うちなあぐちにん標準語ぬ要用やんでぃち考えゆるむんどぅんやれえ、為政者ぬ都合し決わみらってぃ来ゃる諸外国ぬばあとぅ違てぃ、@言語教育ぬ為びけんなかい決わみゆる事とぅさあに、あんしまたA今、最ん広く使あらっとおる地域語ゆ標準語とぅしいねえ、多くぬ地域が取い受きい易っさる筈やん。あんどぅんやれえ、うちなあぐちぬ標準語や決わみい易っさるむぬやんでぃ思ありいん。
うちなあぐちにん標準語ぬ要用やんでぃち成たるばあや、全地域にとぅてぃ最んましやしえ、那覇語くうとぅ無えらんでぃ思ありいん。しょうしょうとぅ、那覇語系や首里くうとぅ、いいくる本島中南部んかい広がとおん。前や首里語あ公用語やんでぃさっとおたるばすんあたしが、公用語とぅ共通語とおまた別どぅやる。地方んじえ、首里語や屋取部落くうとお、使あらってえ居らな、却てえ、官憲くとぅばとぅさあい、くしさっとおたん。沖縄人お、互えに話し相手ぬくとぅばんかい合あさあ合あさあそおるうちなかい、後ぬうんじゅみ、マチガタ(那覇語系)ムニイぬ広がてぃ行じゃるむぬやん。いいくるマスコミんじ使あらっとおる「はいさい」、「ゆいまある」、「ゆんたくひんたく」[35]んでえん、大概や那覇語系どぅやる。廃藩置県ぬ際なかい職失たる首里ぬゆかっちゅうぬ始みたる芝居くとぅばぬんちょおん、結果的ねえ那覇語とぅ混んちょおん。御万人にとぅてえ、那覇語ぬる共通語やたる事ぬ証拠やん。また首里語ん那覇語とぅ、あんすか違とおるむのおあらな、大局的ねえ首里語[36]ん那覇語系どぅやる。
やしが、沖縄人ぬ多くお、生まりジマぬくとぅば、じまま、思がなさそおん。うちなあぐち標準語立てぃゆんでぃしえ、難さるむんがやらん分からん。ゆうさんでえ「標準語」お持たてぃん済むんでぃゆる事までぃん考えらんでえならん筈やん。うぬばすねえ、民族語教育や、学校まんぐらぬ方言ゆ地域ぬ人んちゃあから習ゆる事んかいないがすらん分からん。やしが、如何ぬ様な事んかいならわん、「マスター版教科書(標準語とお別)」とぅうぬ「地域修正版」や要用ないがすらん分からん。「マスター版教科書」んでえ、複数ぬ方言ゆ一ちぬ書記言語さあに書ちぇえる教科書ぬ事どぅ言る。うちなあぐちぬばあや、方言ぬ違えみえ、大概や抑揚ぬ違えみどぅやくとぅ、「マスター版教科書」作てぃん済むんでぃ思ありいん。やしが、一ちぬクラスんじシマぬかあじぬ方言(抑揚)習あさんでえならんでぃゆる不都合や残ゆん。
琉球や、歴史奪うらてぃ、言語奪うらってぃ、地ん奪うらてぃ、あんし伝統的な生活様式壊さったん。やしが、沖縄人お、魂とぅ共に今ちてきぃ生ちち居ん。伝統文化あ受ち継がってぃ、「詩ぬ国・歌ぬ島・踊いぬ里」んでぃち言ゃっとおん。あんそおる芸能文化ぬ根ぐいんかいあしえ、うちなあぐちどぅやる。
歴史んでぃしえ、後世ぬ為なかいどぅある。いがろうや、奪うっらたる歴史にちいてぃ、後世んかいまっとうばに伝えゆる義務ぬあん。
歴史認識とぅ民族意識とぅ言語認識とお一本ぬ線ぬ上んかいどぅある。
「歴史認識やまっとおばに」んでぃゆる言葉ぬあん。戦ん戦争犯罪ん、またん起くちぇえならんでぃちょおる意味とぅさあに使あらりいる事ぬ多さん。民族ぬ言語まっとおばに継じ行かなんでぃぬ意味とぅしん使あらりいん。
過去ぬ歴史ゆ明かがらしいねえ、いがろうや、取い返しびちいやるむんゆ見じゅる事ぬなゆん。
自なあたあくとぅば使ゆる事にちいてぃ、何恐るさし、何恥じかさすぬ事ぬあが。思い切ゆる事んちょおん、さんあれえ、奇跡え、必じ起きゆん。
琉球ぬ歴史ぬまたん再開すぬ日ん来ゅうる筈やん。
以上
琉球漢音には多くのブレが確認される。原因は日本語の激しい影響である。ここでは、日本漢音でも、明らかに慣用的になっている漢音もの[37]についてはそのまま使用し、それ以外は可能な限り、伝統的琉球漢音を使用している積もりである。文献上、伝統的漢音と日本漢音の両者が存在する場合は、数的には日本漢音が優勢[38]である場合でも、ルールを単純にする為に琉球漢音を使用した。琉球漢音と日本漢音を混在させると、却って読者を混乱させるからである。
文献において、日本漢音が定着している漢音であるにも拘らず、この論文において琉球漢音が使用されている部分があるとすれば、私の勉強不足である。
[1] 琉球語ん組踊創作時代に書ちくとぅばぬなとおたしが、廃藩置県ぬ後おあったに衰いたん。
[2] 「琉球語が(略)消滅する日もさう遠くはあるまい」「この瀕死の方言」等。(論考『方言と国語政策』)。
[3] 戦前迄ぬ「標準語励行運動」や役ん立たな、戦後ぬ「方言禁止運動」ぬる危機早みたる。
[4] 初代県令鍋島直彬や、「言語風俗ヲシテ本州ト同一ナラシムルハ(略)」んでぃち、二代目県令上杉茂憲や、「其言語ヲシテ内地ト通同ナラシメ(略)」んでぃち言ちゃん。『沖縄史料集成』(green life社)
[5] 大野晋にゆいねえ、弥生式文化とぅ共に朝鮮南部ぬ言語ぬ持ち込まったん。『日本国家の起源』(井上光貞)
[6] 弥生世後期んじあたんでぃさっとおる大戦。複数ぬ中国史書んかい書かっとおんでぃぬ事。
[7] 「アマミキヨ」や文語。浜比嘉島んかいや「アマミチュー」(アマミ人)んでぃち口語さあい伝てえらっとおん。ヤマト政権以来ぬ古代水軍ぬ海人部(あまべ)がやら。今帰仁、勝連、知念んでえんかい来琉伝説ぬあん。複数船団しが来ゃらあ。
[8] 平家南走説や琉球弧全域んかいあん。壇ノ浦海戦んじ負きたる平家側水軍ぬうち、1300人余ぬ残兵乗してえる70余艘ぬ関門海峡西から南走さあに、奄美諸島から琉球北部んかい逃んぎやい、琉球弧ぬあまくまんじ築城さんでぃしいねえ、奄美群島合あち琉球んかいあぬ130余いぬ城ぬ13〜14世紀まんぐるんじ集中的に造らったる行成とぅふちゃあゆん。アジ(氏、按司)ぬ呼称や落ち武者たあぬ名残いがやら。参考文献『あゝ北山王国 南走平家の裔たち』(親川光繁)。
[9] 琉球語んかいや、万葉語、南九州語、関西弁、江戸弁んでえぬ混んちょん。形容動詞んかい対応すぬ琉球語ぬ「やん」うりに形容詞んでえうとおてぃ、サ行がハ行んかいけえ変わとおる与勝物言いや、関西弁とぅ良う似ちょおん。
[10] 伊藤俊幸訳「免疫グロブリンGの標識遺伝子に基づく日本民族の起源」松本秀雄著から。
[11] 様式化(確立)さっとおる書記言語持ちゆうさんでえ、@使用ぬ限定さりいん、A資料化しいぐりさんあい使えぐりさん、B優先度ぬ書記言語持っちょおる他ぬ言語んかい移ゆん、C言語コンプレックス持っちいやっさん、んでえぬ理由から化石言語んかい成い易っさんでぃ思ありいん。
[12] うちなあぐちえ戦後ヤクザぬ「共通語」やたん。本土ヤクザとぅ交渉すぬばあや通事ん居らんでえならんたん。裁判うとおてぃんやまとぅぐちぬ分からん幹部ん居たん。参考『沖縄誰にも書かれたくなかった戦後史』(佐野眞一著)。
[13] 戦前ぬ標準語励行運動ぬ大理由:皇民化しいなする事。劣等感ぬ克服。県民ぬ徴兵さったるばすとぅか外国んかい移民すぬばす、くとぅばに不自由しみらん為等。
[14] 復帰前、沖縄人お米兵ぬ犯罪とぅか事故んかいや無権利状態やたん。事犯や大概MPにゆてぃ片付きらってぃ、加害米兵や無罪あらんでえ軽罰どぅないたる。うん如る無権利状態が1970年ぬコザ騒乱引ち起くち、復帰早めみたるむぬやん。
[15] 三山割拠時代ぬあい、統一後ん内乱ぬあたん。明治期んじえ親中派とぅ新日派があらげえとおたん。
[16] 反対勢力や日本復帰しいねえ「芋とぅ裸足ぬ生活んかい戻ゆん」でぃち叫びたん(芋裸足論)。
[17] 「日本人や単一民族」んでぃち言ちゃる政府要人や、中曽根総理大臣(1986年)、伊吹文科相(2007年)、中山国土交通相(2008年)たあ。
[18] 倭王武(日本国王雄略)ぬ宋んかい送たる上表文んかいや征服せえる国とぅしち、「毛人五十五国」「西夷六十六国」でぃぬ記述ぬあん(『日本国家の起源』)。「国」え今ぬ感覚せえ部族ぬ事がやら。ミトコンドリアDNA分析なかいん、中国人んでえ韓国人んでえんじえ自国人固有タイプぬ持っちょおる割合がそれぞれ50.6%、40.6%なのに対し、日本本州人ぬばあや、一位や「中国んかい多さるタイプ」なてぃ25.8%、2位が「韓国んかい多さるタイプ」24.2%、3位が「集団ぬんかい多さるタイプ」21%、4位が「沖縄んかい多さるタイプ」16.1%、5位が「アイヌぬ人んちゃあんかい多さるタイプ」8.1%、「日本人固有ぬタイプ」や、ただぬ4.8%どぅやる。他ぬアジア人に比びてぃでえじな雑種やん。NHKスペシャル「日本人のルールを探れ」から。
[19] 「中山世鑑」とぅか「中山世譜」や、薩摩んかい遠慮さあに編纂さっとおるむんなやい、史実とぅせえ、実にんでえ考えらってえ居らん。
[20] NHK番組、「ニッポンの教養、人類よ声を聴け」から。
[21] 「あちゃ+あ」や、二語からないしが、「あちゃー」でぃち表記しいねえ、前語ぬ語尾とぅ次語ぬけえたっくゎとおる為なかい、語構成ぬ説明やならん。
[22] 「おーい」や「おい」ぬ臨時伸ばし音なてぃ非固有音。辞書んかいや固有音ぬ「おい」びけんがる載とおる。
[23] 口語んじえヤ系係助詞や前語尾音にゆてぃ使え分きらりいしが、文語んじえ、大概や「や」使ゆん。参考:拙書『実践うちなあぐち教本』。「わんや」ぬ口語や「わんねえ」、「わのお」等。
[24] 散文ぬ歴史ぬ長さる日本語文や古音表記残ちょおるむんやしが、琉球語や散文ぬ歴史ぬ浅さくとぅ、日本語ねえぬ古語やいきらさん。口語し文章書ちゅる事ゆ「言文一致」んでぃ言るむんどぅんやれえ、琉球語ぬばあや、日本古語借とおる部分くうとお、組踊時代から「言文一致」やん。
[25] うちなあぬ黄金言葉。優り者やいがなあ、まる平生や人前んじえ、優りとおる所見しらん人。
[26] 言論統制強みてぃ行ちゅる軍国日本ぬ中んじ、宮武外骨や、日本ぬんかいん多種多様な思想ぬあたる事、後世んかい残する為、全国歩っち古新聞集みたん。今ん東京大学付属施設んかい保管さっとおん。また、現日本国憲法ぬ草案作ええんかいや日本人政治家とぅか憲法学者ん多く関がなたん。
[27] 読谷村、西原町、宮古島市、西表(竹富町)、南風原町んでえ。
[28] 北谷くとぅば、今帰仁くとぅば、宮古くとぅば、石川くとぅば、新垣(糸満市)くとぅばんでえ。
[29] 「よなぐすくの民話」んでえ。多くお旧与那城町くとぅばし収録さっとおん。
[30] 文明国語中んじ音素ぬ一番いきらさる日本語びけんが機械的操作んかいふさとおんでぃ言ゃっとおん。参考『日本語の本質』(司馬遼太郎対話選集2)
[31] 直音や1文字、拗音や普通文字とぅ小文字ぬ2文字。
[32] 例:実音「テレベー、ンダン」ゆ「テレビえ、見だん」でぃち書記。「テレビ」ぬ語形崩さん表記。
[33] 文中ぬ強調助詞「どぅ」、「る」受きてぃ、述語とぅなゆる用言、連体形し結ぶん。例、「くりどぅちゅらさる」
[34] 例れえ、「先生」、「天気」や、琉球漢音しえ、「シンシイ」、「ティンチ」とぅなゆん。
[35] 「はいさい」や首里語んかいや無えらな、「ゆいまある」、「なんくるないさ」、「ゆんたくひんたく」や首里語なかいや、「いいまある」、「なんくるなゆさ」、「ゆんたくふぃんたく」。
[36] 那覇語系ぬ「飲むん」、「すん」や首里語んじえ、「飲ぬん」、「しゅん」でぃちなゆん。うりかあが両語ぬ特徴的違えみやん。また、首里語ぬf音や那覇語系んじえ大概h音ぬんかい変わゆしがf音やる所んまんどおん。那覇語ぬ一部んかいや、他にん首里語とぅ似ちょおる音使えんあん。「あやあ」、「たありい」んでえぬ士族語彙や外んちゃん。
[37] 例:単音の場合は、琉球漢音は比較的守られているが、学校、衣装などのように特にoを伴う語尾の二重母音や拗音などの場合は、日本漢音のまま一部が使用されて慣用化している。
[38] 琉球漢音と日本観音の混在例として、証拠(琉球漢音)、証書(日本漢音)などがある。