沖縄タイムス「唐獅子」掲載 提供 南謡出版
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二百年前のうちなあぐち散文  (掲載2007.2.16) 関連ページ:200年前の琉球語散文T
200年前の琉球語散文U
200年前の琉球語散文V
日本語版 うちなあぐち版

 うちなあぐちは、韻文には向くが、散文に向かないと言われる。組踊台本にある散文体のせりふに、その「答え」のヒントがある。

 組踊台本の多くは、擬古文混じりの一種の韻文であり、「大川敵討」(一八〇〇年、久手堅親雲上)も基本的には例外ではない。だが門(まど)の者、泊が、物売りに変装した村原のひやに語る長いせりふは随分と趣が異なる。

 泊のせりふは、殆どが現代うちなあぐちと大差ない口語である。門の者は身分が低く、飾る必要のない滑稽役だから、作者は彼に口語を喋らしたのだろう。このせりふは次のことを教えてくれる。

@二百年前に琉球語散文の土壌があった。A当時、琉球語散文を書く感性を持つ作家らがいた。B当然だが、口語うちなあぐちは当時から今日まで連続している。

 余談だが、琉球語で散文を書く場合は、いきおい口語とならざるをえないだろう。なぜなら、韻文にかたより、散文が発達しなかった琉球語においては、日本語の古文に相当する散文が確立されなかったからである。「花売の縁」(高宮城親雲上)においても、やはり身分の低い薪木取が喋る長いせりふは、同じく口語(これも現代うちなあぐちと大差がない)である。

 散文体のせりふを持つ組踊台本は「大城崩」(田里親雲上作)など、他にもある。これらは後世にとって、貴重な資料である。

 だが伊波普猷は自編著『琉球戯曲集』で「大川敵討」などについて、散文としての価値を見出せず、「徒らに冗繁な文句を長々と連ねたもの」と酷評した。組踊という「眼鏡」から見て、散文調の長いせりふは違和感があったのだろう。あるいは、「琉球語消滅論」を唱えていた伊波にとって琉球語散文は、関心の対象外だったことも関係しているかも知れない。

組踊で萌芽した散文は成長することなく枯れた。「つづき」を、われわれは『沖縄対話』(沖縄県)などに見るのであるが、その簡易な表記は、散文の断絶を象徴するかのようである。だが、うちなあぐちは連続している。断絶を埋めるのは決して難しいことではない。

言語が散文に向くかどうかは、使う人々の意識の問題であって、言語自身の問題ではない。

注:字数等の関係で「唐獅子」と文言が違うところが若干あります。


 うちなあぐちえ、韻文ぬんかいや合あいしが、散文ぬんかいや合たらんでぃ言ゃりいん。組踊(くみをぅどぅい)台本ぬんかいあぬ散文体(さんぶんてえ)ぬせりふんかい、うぬ「答(くて)え」ぬヒントぬあん。

 組踊台本ぬ多(うふ)くお、擬古文混んちゃあぬ一(てぃい)ちぬ韻文なやい、「大川敵討」(一八〇〇年、久手堅親雲上)ん基本的ねえ例外やあらん。やしが門(まどぅ)ぬ者(むぬ)、泊(とぅまい)が、物売(むぬう)やあんかい化きやい、村原(むらばる)ぬひゃあんかい語ゆる長せりふや、内容(みい)がでえじな違ゆん。

 泊ぬせりふお、てえげえや今(なま)ぬうちなあぐちとぅ、なんずか変わらん口語やん。門ぬ者や身分(ぶん)ぬ低さぬ、ゆかっちゅふうなあさんてぃん済むぬ、てえふぁ役やくとぅどぅ、作者あ、彼(うり)んかい口語あびらちぇえるはじ。くぬせりふお次ぬくとぅ習あちとぅらちょをん。

@二百年前んじ琉球語散文ぬ土壌ぬあたん。Aうにいんじ、琉球語散文書ちゅる感性持っちょをる作家たあぬをぅたん。B当たい前(めえ)やしが、口語うちなあぐちえ、うにいから今までぃ、ちゃあちなじいし今とぅなんずか変わらん。

 話や変わゆしが、琉球語なかい散文書ちゅるばそお、いいくる口語んかいどぅないぬはじ。何(ぬ)がんでえ、韻文ぬんかいかたんち(韻文びけん、うみはまてぃ)、散文ぬ発達さんたる琉球語うとをてえ、日本語ぬ古文ぬんかい当たゆる散文のお立てぃてぃくららんたくとぅやん。「花売の縁」(高宮城親雲上)うとをてぃん、うんぐとぅし身分ぬ低さる薪木(たむん)(とぅ)やあぬあびゆる長せりふお、同(い)ぬぐとぅ口語(くりん現代うちなあぐちとぅなんずか変わらん)やん。

 散文体ぬせりふぬあぬ組踊台本や「大城崩」(田里親雲上作)んでえ、他(ふか)にんあん。くったあや後世にとぅてぃ、あたらさる資料やん。

 やしが伊波普猷や自編著『琉球戯曲集』うとをてぃ「大川敵討」んでえにちいてぃ、散文とぅしちぬ価値ぬあぬくとぅん分からな、「徒らに冗繁な文句を長々と連ねたもの」んでぃち、じままくじとをん。組踊んでぃゆる「眼鏡」から見ち、散文調ぬ長せりふお、いふぇえ、違とをる風儀がやたらあん分からん。あらんでえ、「琉球語消滅論」あびとをたる伊波にとぅてぃ、琉球語散文や、関心ぬ対象外やたるくとぅとぅん関係そをるはじやん。

組踊んじ芽(みい)ぬ出(ん)じたる散文や、ふどぅゐいてぃいちゅるくとぅんねえらな、けえ枯りたん。うりから後(あとぅ)ぬ散文や、いがろうや『沖縄対話』(沖縄県)んでえんじ見(ん)じゅるばすやしが、うぬ簡易な表記(ひゅうち)え、散文ぬ断絶、象徴すぬぐとをるむんやん。やしが、うちなあぐちえ連続そをん。断絶埋みゆしえ、あんすか難(むちか)さるむのおあらん。

言語が散文とぅ合たいみ合たらにんでぃゆるくとお、使ゆる人んちゃあぬ考え方ぬ問題どぅやる、言語くるぬ問題やあらん。